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Channel: へべれけ登山隊のブログ
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遭難事故報告

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発生日時:2015年7月25日 土曜 10:20頃
発生場所:片品川水系 三重泉沢 下流部 第一ゴルジュ
登山形態:沢登り
メンバー:吉田、本橋(仮名)
 
7:15頃
平川林道ゲート出発
8:15頃
三重泉橋より入渓。水量少なく楽な遡行が予想された。三重泉らしいナイスなイワナと戯れつつ、のんびりと遡行を開始する。
9:30頃
八丁クラガリの第一ゴルジュに差し掛かる。いつもなら左岸から高巻く場所なのだが、水量少ないし釜も埋まって浅いので水線突破を慣行。俺がリード。空身で登りザックを荷上げ。本橋を確保して突破完了。
10:20頃
第一ゴルジュを抜け、本当に何でもない、いたって平凡な場所。
高さ1.2mほどの段差をステミングで簡単に登る。ほぼ登り切り、右足は段差の上、左足はまだ段差の下。姿勢はクラウチングスタートの様な状態。
右足に全体重をかけ左足を段差の上に引き上げようとした瞬間、なぜか右足を置いた地面が10センチほど陥没。バランスを崩し体が上流方向へ倒れ始めた。
この時まずい事に、陥没した穴に右足が挟まったままなので、足は立った状態で固定され、体だけが倒れるという状態。この時の右足は折り曲げた屈伸状態だったので自由が利かず、
テコの原理で足首をへし折るような感じでそのまま横向きに転倒した。
この時はさほど痛みは無かったが、嫌なひねり方をしちゃったなあ。という程度だったので、捻挫程度と思っていた。
しかし、もしも捻挫だとしても、このまま遡行を続けるのは不可能と判断し、「ごめん。捻挫しちゃったみたいなんで、ここで退却かも・・・」と本橋に伝え、数分間すわったまま様子をみた。
しばらくたっても、さほど痛みを感じないので自力で立とうとしたが足首がクニャクニャで力が入らない。
右足を持ち上げてゆっくり振ってみると足首から先がプランプランと勝手に揺れてしまう。
この時点で骨折もしくは靭帯断裂と判断。
そして、遡行の継続どころか自力での下山すら極めて困難な状態に陥った事に気づく。
しかし、不思議とパニックには陥らず、冷静に状況の分析と今後の方針を考えた。
まずは同行者の橋本のサポートで自力下山をシミュレートしてみたが、どう考えても通過不可能な場所が数カ所予想された。無理をして橋本を巻き込んでの2次遭難は絶対に避けたい。
 
次に考えたのは、俺だけこの場所に一泊して、本橋は先に下山させ、山仲間のリーダー格である柿先(仮名)に状況を知らせてもらう事だった。彼も以前この沢に数回来ているので本橋に正確な場所と俺の置かれている状況を説明させれば、すぐに仲間内だけで救助隊を組織して迅速な行動を起こしてくれると思ったからだ。
しかし、この作戦には三つの大きなリスクが考えられた。
一つ目は本橋が単独で無事に下山できるかどうかという事。実は本橋は今回が沢登りデビューという初心者だった。しかし、ここまでにさほどの難所は無い。たった今通過した第一ゴルジュは登りは面倒だが下りは簡単。滝壺に飛び込んじゃえば良いのだ。唯一有るとすれば砂防堰堤の袖の上下流にある微妙なヘツリだけ。しかしそこも先ほどノーロープで二人で超えた場所なので、慎重に行けば問題ないはず。
二つ目のリスクは柿先が救助の体制をとれない可能性が高い事だった。彼の今日の行動予定が丹沢での沢登りと聞いていたからだ。
三つ目のリスクは今夜の天候。ここ数日、天候が不安定なので今夜大雨で増水する可能性も否めない。今いる場所はV字谷ゴルジュの底なのだ。増水すれば万事休すだ。
というわけで、いつもの仲間に救助してもらうには不確定要素とリスクが多すぎた。
 
残る手段は公の救助体制に頼る事なのだが、これは山屋の恥。特にバリエーションとなれば、なおさらだ。なので、できれば避けたい所なのだが、他には選択肢が無かった。
恥を忍んで群馬県警にヘリコプターでの救助を要請をしてくれと本橋にたのんだ。
しかし、これにも問題はあった。
今いる場所はV字状の狭い谷底。しかもかなりの数の高木が茂っていた。おそらく狭すぎて接近できないのではないかと思われた。
本橋に渡した遡行図と地形図で、今いる正確な場所を説明し、3人以上のサポートがあればヘリでのピックアップが容易な数百メートル下流にある堰堤上の河原まで移動も可能である事を伝え本橋を下山させた。
 
本橋を送り出してから自分なりにベストな行動をとろうと考えた。
まず、本橋が出発地にたどりつくまでのおおよその時間を2時間と予想した。車に乗り携帯圏内に移動し救助要請をするまでに30分。
救助隊が連絡を受けヘリを飛ばすまで30分。そして飛行時間が15分と予想した。
つまり、救助ヘリが到着するまで最速で3時間15分と予想した。

さて、この3時間15分の間に自分でできる事は何だ?
まずは自分の足の応急処置。緊急装備の中のテーピングテープを靴の上から巻いて足首を固定した。靴を脱いで患部を確認する事はあえてしなかった。見てどんな状態になってたとしてもどうしようもないし、予想通り骨折していたとしたら、この後どんどん腫れてきて二度と靴を履けなくなってしまう事を知っていたからだ。
ヘリがこの場所でのピックアップができない場合、数百メートル下流の堰堤上部の河原までの移動をしなければならないので、靴を履いていなかったらそれすらできなくなってしまうと思ったのだ。
何度も言うが、この場所はゴルジュの中。担架に乗せて体重80キロの人間を人力で運ぶなんて不可能である。現実的なのは痛いのを我慢させて川の中を流して運んだり、肩をかして歩かせたり、おんぶして運ぶという方法しか考えられなかった。
なので靴は履いたままでテーピングをした。とりあえず固定はできた。
次に発見されやすくするための方法を考えた。
まずは樹木の下から出る事。少々暑いが日向に移動した。右足が利かないので僅かな移動でも大変だ。その場所は源流域のデコボコ地形だからだ。
次に、一度ザックの中の物を全部出して、なるべく目立つものを探した。赤色のレインウエアが一番目立つと思ったので、まずはそれを着込んだ。
次にヘリが接近してきた時に振り回せるものを考えた。キラキラ光る薄っぺらの銀マットがあった。それをいつでも振り回せる場所に置いた。
とりあえずやれることはそれだけだった。
あとは無駄な体力を使わない事だ。砂利の上に横たわり目を閉じて2時間だけ寝る事にした。腕時計のアラームをセットした。2時間たったら緊急装備の中のロキソニンという痛み止めを通常の倍量飲もうと思ったからだ。理由は堰堤上までの移動時の麻酔効果を狙ってだ。救助隊到着の1時間前に飲めばちょうど良く効いてくると思ったからだ。
しかし、徐々に右足首が痛み出してきて寝れない。それでも目を閉じ続け体力を温存した。

2時間でアラームが鳴ったので予定の倍の4錠のロキソニンを飲んだ(通常は1回1錠)。痛みがどんどん強くなってきていたので、それくらい飲まなければ痛くて移動できないと思ったからだ。
そして、それからの約1時間は、さまざまな事を考えながら救助を待った。
本橋は無事下山できただろうか・・・
もしもあと2時間たってもヘリの音が聞こえなかったら、本橋の身に何かあったと考えなきゃなあ・・・
もしそうだったら俺が救助に行かなきゃ・・・でも、無理だよな・・・
など、そのような事ばかり考えていた。
嫌な1時間だった。
 
そして、俺の予想通り、本橋を送り出してから3時間30分ほどでヘリの爆音が聞こえた。
ヘリは高速で左岸側の尾根伝いに北側へ飛んで行った。
以前に何かの本で読んだことがあるのだが、救助ヘリの基本行動は、「まず最初に爆音でヘリが来た事を遭難者に知らせる。しかるのちに徐々に遭難者に近づいていく。この間に遭難者は自分の存在をアピールする行動に出るので発見しやすいそうなのだ。」
そして、まさにその通り、ヘリは一旦南から北へ高速で飛び去り、Uターンして北側から真っ直ぐゆっくりこちらに近づいてきた。すでに俺のいる場所が解かっているようにピンポイントで近づいてくる。しかし、俺はまだヘリの機体を見ていないので向こうも解かっていないはず。
という事は、本橋が俺の遭難場所をピンポイントで正確に伝えたという証拠だった。
一安心だった。本橋は無事なのだ。
俺は片足で立ちあがり必死に銀マットを振り回した。
ヘリは俺の真上で静止しホバリングし始めた。ドアーが開き隊員が身を乗り出してこちらを確認した。
この後ホイストで隊員が下りてくれば救助可能。無理ならば下流の河原に一度隊員を降ろして、人力による河原までの移動後にピックアップだと思っていた。
どうなんだ?と思っているとヘリは徐々に南へ進みだし加速して視界から消えた。
ああ、やはり俺の予想通り河原までの移動なんだなと判断し、腹を決め準備を始めた。外してしまったネオプレーンスパッツを付け、ハーネスを絞めなおした。
と、ヘリコプターの爆音が近付いてきた。そして再び俺の真上で静止し、隊員が二人、ホイストで下降してきたのだ。今度は機体が北側を向いた状態だった。
隊員二人は木の枝にぶつかりつつも俺の真横3mの斜面に下降した。
そして、「吉田さんですね?橋本さんはどこですか?怪我をしているのは吉田さんなんですか?」俺の足のテーピングを見ながら矢継早に隊員が叫んだ。少々情報が交錯していたようだったが、そんなことはどうでも良い。必要な事はきちんと救助隊に伝わっていたのだ。
1人の隊員が俺の体に吊り上げ用のフルハーネスのような物を着せてくれた。もう1人の隊員は俺のザックを運んでくれるようで、散らかした荷物のパッキングまでしてくれている。
フルハーネスの準備が終わると隊員と一緒に吊り上げが始まった。一気に巻き上げられ側面のドアーから収容された。続いて俺のザックを背負った隊員が上がってきた。

そしてヘリは沼田の運動場にあるヘリポートへ向けて飛んで行った。
不謹慎だが、窓から見える平川流域の山並みが非常に美しく見えた。
ヘリには操縦士と副操縦士、後部席には隊長と思われる年配の方ともう一人、それと直接俺の救助に当たった若い隊員が2名で、計6名もの隊員が乗っていた。
俺一人の間抜けな遭難の為にこれほどの人数が・・・・と考えると胸が詰まった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
しかし、それどころではなかった。
ヘリポートに到着すると、そこには救急車が待機していて、ストレッチャーという寝台に俺を乗せ、ヘリから救急車まで4人がかりで俺を運んだ。
足は痛いが、それ以外はぜんぜん元気な俺は、いたたまれない気持ちというか、しでかした事の大きさに胸が痛んだ。骨折した足以上に胸が痛かった。
救急車は利根中央病院という所へ向かった。
レントゲンを撮り応急処置をすませ、結果を聞いた。
怪我は足首のすぐ上の細い方の骨の骨折と足首の脱臼だった。
この時の俺の正直な気持ちは「ああ骨折で良かった。重傷で良かった。捻挫とかの軽傷だったら申し訳なくて死にたくなるぞ。」というものだった。
 
一通りの処置が終わり、病院の待合室で休んでいると相棒の本橋が到着した。
俺は本橋に詫びと礼を言い、現場から出発してからの顛末を聞き、さらに落ち込んだ。
なんと、救助体制は空と陸からの2班体制で組織されていて、陸からの隊は20名近い人数が投入されていて、その中には消防隊、警察、地元消防団などの大勢が三重泉沢に向けて進んでいたという。その案内役を本橋がしていたらしい。
なんでも、遭難した場所が場所だけに、ヘリでの救助はできないだろうという予測が立てられていて、陸からの救助には相当数の人数が必要との判断で、大勢が向かっていたそうだ。
消防や警察の方はともかく・・・と言うと失礼だが、消防分団は地元有志のボランティアだ。つまり普段は別の仕事をしている一般人。自分の仕事をほうっておかせて、あんな危険な場所へ向かわせてしまったのだ。まったくもって、申し訳ないの一言だった。
 
これを書いている今、実は心の整理はついていない。そしてこれを書いている「今」と言うのは、事故の翌日である。遭難したのは昨日の事なのだ。怪我をした右足は応急処置の包帯と簡易な添え木だけ。患部はズキズキと痛んでいる。
そして、なぜ、心の整理がつかないままこれを書いているのかと言うと、事故直後のフレッシュな自分の気持ちを残しておきたかったからなのだ。
それと、事故の原因が墜落や滑落など、登攀時のミスではなく、なんでもない場所で起こした事故なので、登山をする全ての人に起きうる事。この報告が少しでも誰かの為になるかもしれないと思ったので、その時その時の正直な自分の気持ちをアップしていこうかと考えているのだ。
先の方にも書いたが、山屋にとって、遭難してヘリで救助されるというのは最大の恥。それをあえてブログやHPにアップするというのは、けっこう勇気が必要だ。
柿先には「お前はもうバツイチだ。」などとも言われてしまっている。
でも、あえて公開する事にする。おそらくこのレポは、職場の上司、親戚、山屋以外の友人たちなど、あまり見てほしくない人たちも見るだろう。
しかし、このレポを公開する事が、俺の救助で迷惑をかけた人たちへの恩返しに、少しはなるんじゃないかなとも思うし、また、これを書くことが自分への罰であり今後の戒めにもなると考えているのだ。
吉田 勝彦さんの写真


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