2016/07/23~24
メンツ:かっきー・へべれけ
去年の7月25日の遭難事故からちょうど1年が過ぎた。
折れた足首は順調に回復していたが、金属プレートとビス7本は未だに入ったままだった。
実を言うと事故から半年くらいで普通の登山ができるくらいには回復していたのだが、その頃は真冬の1月。
そんなわけで山に登るとなると厳冬期の雪山での山スキーだからして、本格的すぎちゃって行く気になれなかった。
春のGWにはザラメの鳥海山から山スキーに復帰したのだが、雪不足という事もあってスキーシーズンはそれで終了となってしまった。
スキーシーズンが終わると沢シーズンが始まる。
何処の沢もユキシロが少ない事もあって、いつもの年より早く沢シーズンは始まっていて、仲間たちの沢レポなど読んでいると、行きたい気持ちも湧いてきていたのだが、やはり、なんとなく恐怖感があるというか、ちょっとした渓流釣りでさえ行く気になれなかった。
いつもの年より仕事が忙しい事もあったのだが・・・
まあ、とにかく、ずいぶん長い事、山から遠ざかっていたのである。
20キロくらい担いで近所の山でのボッカトレとかは時々していたのだが、そんなものは焼け石に水で、体力も筋力もやる気も落ちていて、増えたのは体重だけ・・・・というありさまだった。
まあ、とにかく、ずいぶん長い事、山から遠ざかっていたのである。
20キロくらい担いで近所の山でのボッカトレとかは時々していたのだが、そんなものは焼け石に水で、体力も筋力もやる気も落ちていて、増えたのは体重だけ・・・・というありさまだった。
そして、気が付くと事故から一年がたとうとしていた。
節目が近づいてきていた。
やらねばなるまい!
という気持ちがわいてきていた。
という事で、事故から363日目にあたる7月23日(土)にリベンジ三重泉沢行が決行されることになったのだ。
達成できればギリギリ1年以内のリベンジ沢行という事なのである。
同行者はおなじみカッキー。
サポートとして仲間内では最強のポテンシャルなので心強い。
サポートとして仲間内では最強のポテンシャルなので心強い。
当初の予定ではアルピニストの安藤塾長も参加予定だったのだが、急な仕事が入ってしまい残念ながらドタキャンとなってしまった。
さて、では、俺にとっての三重泉沢がどういうものなのかを、ちょっと説明しておこう。
実は、ものすごく特別な沢なのだ。
地元群馬県の沢なのだが、
登山をはじめて間もないころ、源流釣りの延長線上ではあるのだが、はじめて本気で臨んだ沢が、この三重泉沢なのである。
そして、はじめて途中退却したのも三重泉沢。
何しろその頃の俺、懸垂下降以外の登攀技術は何も知らないのだ。
その時は、退却用のアンカーに、持っていた全てのハーケンを残置したし、ほとんどの捨て縄も使い切って、フラフラになりながらのヘッデン下山だったのだ。
そしてバリエーション熱に火が付いたのは、これが切っ掛けと言って間違いないのである。
登山をはじめて間もないころ、源流釣りの延長線上ではあるのだが、はじめて本気で臨んだ沢が、この三重泉沢なのである。
そして、はじめて途中退却したのも三重泉沢。
何しろその頃の俺、懸垂下降以外の登攀技術は何も知らないのだ。
その時は、退却用のアンカーに、持っていた全てのハーケンを残置したし、ほとんどの捨て縄も使い切って、フラフラになりながらのヘッデン下山だったのだ。
そしてバリエーション熱に火が付いたのは、これが切っ掛けと言って間違いないのである。
また、今回同行のカッキーと初めて出会ったのも、この三重泉沢。(別パーティーで前後して登ってたのだ)
今ではすっかり馴染みの仲間なのだが、実はこの沢が始まりなのである。
今ではすっかり馴染みの仲間なのだが、実はこの沢が始まりなのである。
そして、初めて遭難してヘリに救助されたのも、この三重泉沢なのである。
まあ、そんなわけで、俺にとっての三重泉沢は、今の俺の山行形態の基盤になっている沢であり、今の山仲間の出合いの場所でもあるのだ。
そして、何度も繰り返し遡行しているホームグラウンドのような沢なのである。
さてさて、では山行記録を書こう。
つづく
これは2008年6月の写真 第3ゴルジュのCSをリードする俺(今の俺には無理です)
離陸が難しいんだよね
岩の割れ目に手を突っ込んでグーを握って・・
よくもまあ登れたもんだわ。今の俺には無理だね