本文中にも書いたが、事故は登攀中や高巻中などの事故ではなく、いたって平凡な場所で発生した。
全く平らな場所ではないが、わずか1.2m程度を乗越すという場所だった為、緊張感や恐怖感はゼロ。
ただし技術的には多少は必要な場所であった。左右に石と岩があり、その上流側に流木が挟まっていて小さな砂防ダムのような状態になっていた。流木は上の方にしか無く、下の方は砂利と砂でえぐれていて僅かにオーバーハングした状態だった。
なので階段のように普通に登る事は出来ず、左右の石と岩を使ってステミング(両手両足で突っ張り)で登った。
全く平らな場所ではないが、わずか1.2m程度を乗越すという場所だった為、緊張感や恐怖感はゼロ。
ただし技術的には多少は必要な場所であった。左右に石と岩があり、その上流側に流木が挟まっていて小さな砂防ダムのような状態になっていた。流木は上の方にしか無く、下の方は砂利と砂でえぐれていて僅かにオーバーハングした状態だった。
なので階段のように普通に登る事は出来ず、左右の石と岩を使ってステミング(両手両足で突っ張り)で登った。
登攀用語で書くと難しく感じるかもしれないが、少しでも登攀経験のある人にとっては登攀と言えるような難しいものではなく、無意識にササっとこなしてしまうような簡単な段差越えという程度である。
なので俺も、ほとんど無意識に体を動かし、これをステミングで登った。
そしてその直後にバランスを崩し事故を起こしたのだ。
直接の原因は流木の裏側に堆積した土砂のわずかな陥没。これでバランスを崩し転倒したのだ。
なので俺も、ほとんど無意識に体を動かし、これをステミングで登った。
そしてその直後にバランスを崩し事故を起こしたのだ。
直接の原因は流木の裏側に堆積した土砂のわずかな陥没。これでバランスを崩し転倒したのだ。
<ではなぜ陥没したのか?>
実は、当然と言えば当然の結果なのである。
その段差は大雨による出水時に、流れによって運ばれた流木や土砂が石と岩の隙間に挟まり、その裏に土砂などが自然に堆積してできた段差。これがもしも土砂だけだったら砂利や砂や玉石などがスクラムを組み結束されて意外としっかりした状態になるのだが、ここに落ち葉、小枝、泥などが混じる事によりスクラムの結束は不安定となり、場合によっては内部に空隙が発生したりするのである。
その空隙を上から踏み抜けば当然ながら地面は陥没するのである。
その時の俺はこれを予想しなかった。
しかも、俺の職業は土木技術者。この手の理屈についてはプロである。
なのに予想しなかった。
実は、当然と言えば当然の結果なのである。
その段差は大雨による出水時に、流れによって運ばれた流木や土砂が石と岩の隙間に挟まり、その裏に土砂などが自然に堆積してできた段差。これがもしも土砂だけだったら砂利や砂や玉石などがスクラムを組み結束されて意外としっかりした状態になるのだが、ここに落ち葉、小枝、泥などが混じる事によりスクラムの結束は不安定となり、場合によっては内部に空隙が発生したりするのである。
その空隙を上から踏み抜けば当然ながら地面は陥没するのである。
その時の俺はこれを予想しなかった。
しかも、俺の職業は土木技術者。この手の理屈についてはプロである。
なのに予想しなかった。
<何故予想しなかったのか>を考えてみた
まず、緊張感が足りなかった。最初の難所の第一ゴルジュを突破した直後の満足感と、次の難関はしばらく先と言う安心感で、思い切り油断していた。
また、そもそも今回の沢行は何度も来ているホームグラウンドのような沢だったので、緊張感が欠如していたのかもしれない。
そして、実はこの沢行は今シーズン初めての沢登りだった。しかも去年は様々な理由で沢登はほとんどしていない。8月末に単独で谷川の白毛門沢を遡行したのが最後だった。なので当然ながら、以前のような沢登りの感というか、そのようなものが弱くなっている事は明らかだった。
実は俺は、登山中に「感」という言葉を使うのは嫌いである。よく「登山に最も必要なのは動物的な感である。」というような事をえらそうに言う人が時々いるが、俺はそのような事を言う人が嫌いである。
登山中に最も必要なのは根拠に基づいた的確な判断だと思っているからだ。そもそも「感」という言葉には根拠が無いからだ。
しかし、沢登りなどのバリエーションな登山をしている時は「感」という言葉は絶対必要だと思っている。
もちろん地形図も見ないで感でルーファンしちゃうとか、天気予報も聞かないで観天望気だけで行動しちゃうとか、情報ゼロのはじめての沢にロープも持たずに突っ込むなどというのは言語道断な事なのだが・・・
登山中に最も必要なのは根拠に基づいた的確な判断だと思っているからだ。そもそも「感」という言葉には根拠が無いからだ。
しかし、沢登りなどのバリエーションな登山をしている時は「感」という言葉は絶対必要だと思っている。
もちろん地形図も見ないで感でルーファンしちゃうとか、天気予報も聞かないで観天望気だけで行動しちゃうとか、情報ゼロのはじめての沢にロープも持たずに突っ込むなどというのは言語道断な事なのだが・・・
たとえば今回の事故を起こした場所。
なんてことの無い場所なので、普通は立ち止まってルーファンなんてしない。歩きながら一瞬で何処をどう登ろうか感覚的に決める。そして頭の中でシミュレーションするなんて事もなく、手足はほぼ無意識に動きそこをクリアしていく。
なんてことの無い場所なので、普通は立ち止まってルーファンなんてしない。歩きながら一瞬で何処をどう登ろうか感覚的に決める。そして頭の中でシミュレーションするなんて事もなく、手足はほぼ無意識に動きそこをクリアしていく。
また、動きそうな浮石が沢山あるガレ、ごろりと動きそうな石を使った飛び石、ヌルヌル滑る連続するナメ。このような場所の通過も同じである。いちいち立ち止まってルーファンなんかしない。まあ絶対しないわけじゃないが普通はしない。
大抵は歩きながら一瞬でルーファンを行い、手足はほぼ無意識に動かしそこをクリアしていくのだ。
大抵は歩きながら一瞬でルーファンを行い、手足はほぼ無意識に動かしそこをクリアしていくのだ。
つまり「感」なのだ。しかしこれは、根拠のない動物的感などでは無い。知識や経験という根拠を基に一瞬で脳が体に指令を出し、日ごろの訓練や摂生で鍛えられた肉体がそれに反応して身体を動かしているのだと思うのだ。
そして、この時の俺は、とにかくこの「感が鈍っていた」のだと思う。
そして、この時の俺は、とにかくこの「感が鈍っていた」のだと思う。
さて、では次に、
<転倒を回避できなかったのか?>という問題について考えてみた。
2~3年前の俺だったら、あの程度の足元の陥没なら、難なくバランスを立て直していたと思う。
実は沢登りをしていれば、足元が陥没するなんて事は茶飯事。ちょくちょくある事なのだ。なので何度も経験している。そのたびにリカバリーして回避してきている。
足元がズブズブっとなった瞬間、ピョンと飛び上がったり、スッと足から体重を抜いて回避していた。
実は沢登りをしていれば、足元が陥没するなんて事は茶飯事。ちょくちょくある事なのだ。なので何度も経験している。そのたびにリカバリーして回避してきている。
足元がズブズブっとなった瞬間、ピョンと飛び上がったり、スッと足から体重を抜いて回避していた。
今回リカバリーできなかった理由は二つ。
一つは体重増加による運動能力の低下。一年前に比べ6kgも体重が増えていた。そして運動不足が理由で筋力も落ちていた。
二つ目は51歳という年齢。
「もう歳なんだからしょうがないじゃん。」と言いたいわけじゃあない。
確かに51歳といえば運動能力やら反射神経やらの低下はいかんともしがたいものがあるのだが、登山者の実力のピークは40~50歳という説を聞いたことがある。
瞬発力やスピードや反射神経などは若いやつらに到底及ばないが、知識や経験、判断力、我慢強さなどは、むしろ40歳を過ぎてからが上とされるという説である。
それが本当なら俺はピークからわずかに落ちたところにいるという事なのだ。
一つは体重増加による運動能力の低下。一年前に比べ6kgも体重が増えていた。そして運動不足が理由で筋力も落ちていた。
二つ目は51歳という年齢。
「もう歳なんだからしょうがないじゃん。」と言いたいわけじゃあない。
確かに51歳といえば運動能力やら反射神経やらの低下はいかんともしがたいものがあるのだが、登山者の実力のピークは40~50歳という説を聞いたことがある。
瞬発力やスピードや反射神経などは若いやつらに到底及ばないが、知識や経験、判断力、我慢強さなどは、むしろ40歳を過ぎてからが上とされるという説である。
それが本当なら俺はピークからわずかに落ちたところにいるという事なのだ。
しかし、それには条件がある。その条件とは、継続して摂生や訓練を行っている事。つまり日常的に登山を継続していなければ無理なのである。
継続していれば「感」や「最低限の運動能力」も、さほど衰えないのだが、年齢ゆえに少しでも怠ると一気に衰えてしまうのだ。
数年前は毎週のように沢登りに行っていた。何かの都合で二週間も沢登りに行かないでいると、途端に山足が衰えて体が重く感じたり、なかなか疲労が抜けなかったりしたものだが、今回は一年ぶりの沢登り。しかも普通の登山すらほとんど行っていなかった。
冬の山スキー登山も数えるほどしか行っていなかった。
なので、この時の俺、登山者としての能力は限りなく初心者に近かったんだと思う。
継続していれば「感」や「最低限の運動能力」も、さほど衰えないのだが、年齢ゆえに少しでも怠ると一気に衰えてしまうのだ。
数年前は毎週のように沢登りに行っていた。何かの都合で二週間も沢登りに行かないでいると、途端に山足が衰えて体が重く感じたり、なかなか疲労が抜けなかったりしたものだが、今回は一年ぶりの沢登り。しかも普通の登山すらほとんど行っていなかった。
冬の山スキー登山も数えるほどしか行っていなかった。
なので、この時の俺、登山者としての能力は限りなく初心者に近かったんだと思う。
<まとめ>
とまあ、そのような状態で沢登りに行っての事故だったのである。
結果的に事故になり、自力下山ができずヘリによる救助となってしまったのだが、この時の俺、けっして沢登りを舐めていたわけではない。
とまあ、そのような状態で沢登りに行っての事故だったのである。
結果的に事故になり、自力下山ができずヘリによる救助となってしまったのだが、この時の俺、けっして沢登りを舐めていたわけではない。
久しぶりの沢登りなので、「感」も体力も以前より衰えている事は自覚していた。なので行先は何度も遡行した事のある沢を選んだし、体力的にも技術的にも無理じゃないと判断していたし、登山開始前に景気づけの酒を飲んだりしなかったし、登山計画の詳細も作ったし、地形図には標高と水線も書き込んだし、荷物の軽量化も少しは考えたし、今回はリーダーという立場だったのでガチャも充分な量を用意して臨んでいたのだ。
また、「感」も体力も以前より衰えている事を自覚していた俺は、何度も経験済みの沢とはいえ、「今の俺でも行けるのか?」という、少なからずチャレンジ(挑戦)という気持ちを持ち合わせての沢行だった。
だが自信もあった。
だが自信もあった。
しかし、結果は遭難である。
もしも怪我をしたのが、出だしの林道だったら、当然ながら自力で下山しただろう。そして結果はおそらく、単なる不注意による転倒での怪我という事で終わったと思う。
逆に、もしも四つもあるゴルジュの中心での事故だったら、同行の本橋が単独で下山し救助を求めるなんて不可能に近く、下山してこない俺たちを心配し、家族が騒ぎ、仲間たちが騒ぎ、警察に届けられ、何日も遅れてから遭難捜索が開始され、TVニュースに出るような騒ぎに発展していたと思う。
そして、もしも、最悪の場所での怪我だったら・・・
たとえばゴルジュ核心部のど真ん中、上流も下流も登攀が必要な滝で、左右は絶望的な切立った垂直壁。などという場所での事故だったら、死んじゃうまで有ると思う。
逆に、もしも四つもあるゴルジュの中心での事故だったら、同行の本橋が単独で下山し救助を求めるなんて不可能に近く、下山してこない俺たちを心配し、家族が騒ぎ、仲間たちが騒ぎ、警察に届けられ、何日も遅れてから遭難捜索が開始され、TVニュースに出るような騒ぎに発展していたと思う。
そして、もしも、最悪の場所での怪我だったら・・・
たとえばゴルジュ核心部のど真ん中、上流も下流も登攀が必要な滝で、左右は絶望的な切立った垂直壁。などという場所での事故だったら、死んじゃうまで有ると思う。
バリエーションて、そういう場所なのだ。
登山道は無い。他の登山者も滅多にいない。というか普通は誰もいない。携帯も通じない。足の骨でも折れば、それはもう遭難確定。
実力者ばかり5人も10人もいればパーティーでの自力下山もできるかもしれないが、そんな事は滅多に無い。
俺みたいに山岳会に属さない者は、2人か3人くらいのパーティーを組むのが普通。それでも全員が実力者なら良いが、今回みたいに2人での山行で1人は初心者という場合、リーダーが怪我をしてしまったら、それはもう絶望的に遭難に直結なのだ。
実力者ばかり5人も10人もいればパーティーでの自力下山もできるかもしれないが、そんな事は滅多に無い。
俺みたいに山岳会に属さない者は、2人か3人くらいのパーティーを組むのが普通。それでも全員が実力者なら良いが、今回みたいに2人での山行で1人は初心者という場合、リーダーが怪我をしてしまったら、それはもう絶望的に遭難に直結なのだ。
しつこい様だがバリエーションて、そういう場所なのだ。
今回も計画を書いている時にそのような事は考えた。しかし自信はあった。でも絶対の自信ではない。バリエーションに絶対なんて言葉は無いのだ。
「では、なんでリスクを承知で行ったのだ?」と思うかもしれない。
答えは「バリエーション=チャレンジ」だから。としか言えないが、俺はそう思っている。
答えは「バリエーション=チャレンジ」だから。としか言えないが、俺はそう思っている。
バリエーションはリスクの大小はあっても、リスクゼロなんて事は絶対にないのだ。
そして、山をやらない人に必ず言われる事、「女房も子供もいるのに何でそんな危険な事を・・・。しょせん遊びでしょ・・・。遭難でもすれば色々な人に迷惑が・・・」などというセリフ。
実は今、俺の頭の中はこのセリフが繰り返し繰り返しリフレーンされている。
事故を起こしたばかりだし、いまだに普通に歩けないし、後遺症は必ず残ると言われている。
家庭内では入院費やら何やらで急な出費が多く、家計費のやり繰りで家内は不機嫌だ。
会社も突然仕事を放りだして1ヶ月以上も休んでしまったので、相当な迷惑をかけてしまっている。
リスクの高いバリエーション登山をやめるか?
気持ちの整理はついていない。
気持ちの整理はついていない。
普通の登山だけでも続けるか?
いまさら普通の登山で満足できるわけがない。
いまさら普通の登山で満足できるわけがない。
怪我が治って沢登りに行くとしたら、遭難したあの沢からスタートしたいと思っている。
でもまだ気持ちの整理はついていない。