登山には様々な種類とグレードが存在するのは誰でも知っている事。
散歩のように近所の低山をのんびり登るのも登山だし、厳冬期に重装備で森林限界をはるかに超える山に登るのも登山。
当然ながら危険性は厳冬期の高山の方が遥かに高いのだが、低山を散歩するような登山に危険はないのか?というとそうではない。意外と遭難事故は頻繁に発生しているし死亡事故だってありうるのだ。
低山登山の遭難理由は道迷いとかが多いらしいが、いずれにしてもそれなりのリスクは存在するのだ。
低山登山の遭難理由は道迷いとかが多いらしいが、いずれにしてもそれなりのリスクは存在するのだ。
※ ここから先は俺の独断と偏見たっぷりな話なので、読みたくない人は読まないでほしい。違った考えの人と議論するつもりもないし。
さて、なんでみんな危険を承知で登山なんてするのか?
理由は一言で言うと「楽しいから」とか「気持ちいいから」なのだと思う。
で、実はこの理由、低山登山にも厳冬期の高所登山にも当てはまるのだ。
もちろん人それぞれ、もっと複雑な理由や思い入れや目的があって当然なのだが、基本的には「楽しい、気持ちいい」なんだと思う。
もちろん人それぞれ、もっと複雑な理由や思い入れや目的があって当然なのだが、基本的には「楽しい、気持ちいい」なんだと思う。
で、俺が思うには、「もっと楽しく」「もっと気持ちよく」を追及していくと、どんどん登山のグレードが上がっていくのだ。
登山をやらない人、もしくはやった事はあるけど嫌いな人に言わせると、「登山なんて、疲れるし危険だし汚れるし・・・」という、まさに「きつい、危険、きたないの3K」なのだが、登山者はこの3Kを楽しくて気持ちいい事と感じてしまう極めて特殊な人たちなのかもしれない。少なくても俺はそうだ。
「もっと楽しく」「もっと気持ちよく」を追及する為には、さらにきつく、さらに危険で、さらに汚れてしまう登山をしてしまうようになるのだ。(ま、汚れるのを気持ちいいと思う人は稀だと思うが・・・)
で、「もっと楽しく」「もっと気持ちよく」するには登山のグレードを上げていく事になるのだが、グレードを上げていくと、普通に登山道を歩く登山じゃなくなり、バリエーション登山という普通とはかけ離れ、安全第一とは逸脱した領域に入り込んでしまうのだが、そうなると一気に楽しさのレベルが跳ね上がる。そして当然ながら危険度は増してくる。
でも、みんな死にたくないし怪我もしたくないので、装備をそろえ、トレーニングをし、技術を高めていく。もちろん死なない為の知識も必要なので座学も必要だ。
こうなってくると、もう楽しくて楽しくて仕方が無くなってくるのだ。
こうなってくると、もう楽しくて楽しくて仕方が無くなってくるのだ。
何でそんなに楽しいのか?
あえて簡単に言っちゃうけど「命がけの遊び」だからだ。
俺的には「命がけ」=「本気でやらないと死ぬまであるという事」と思っているのだが、本気でやる遊びは楽しいのだ。
俺的には「命がけ」=「本気でやらないと死ぬまであるという事」と思っているのだが、本気でやる遊びは楽しいのだ。
登山はすべて命がけ。最初に書いたけど、軽いハイキングだって、ちょっとは命がけ。バリエーションだと、賭ける命の重さが大きくなるだけなのだ。
低山のハイキングしかしない人。
無雪期の縦走登山までの人。
沢登りや雪山もやる人。
成功率の低い海外の高所登山もする人。
無雪期の縦走登山までの人。
沢登りや雪山もやる人。
成功率の低い海外の高所登山もする人。
これみんな命がけなのだ。賭ける命の重さがちがうだけ。
縦走登山までの人は命を賭けてるという意識は希薄だと思うけど、絶対賭けちゃってるんだよね。
さて、いくら楽しいからと言って、命がかかっているからには、どこかで線引きして死なないようにしなければならないのだが、博打と同じでこれが難しい。
俺の場合は
夏は中級程度までの沢登り。冬は山スキー。という所で線を引いている。
これが正しい判断なのかどうかは神様にしかわからないと思うが、まあ自分で判断するとここだったのだ。
夏は中級程度までの沢登り。冬は山スキー。という所で線を引いている。
これが正しい判断なのかどうかは神様にしかわからないと思うが、まあ自分で判断するとここだったのだ。
気持ち的にはアルパインとかもやってみたいと思ていたのだが、あまりにもリスキー。
それをやるには、ある程度の犠牲が必要と思ったからだ。
それをやるには、ある程度の犠牲が必要と思ったからだ。
その犠牲とは日常生活の事。
つまり家庭と仕事である。
つまり家庭と仕事である。
それは真冬の南アルプスで逝ってしまったケモという友人に教わった。実際に教わったわけじゃないが、彼の生き様を見て教わった。
「覚悟をもって臨みましょう。」
彼がよく言っていた言葉だ。
彼がよく言っていた言葉だ。
その言葉通り、彼はまさに覚悟を持ち、日常を犠牲にして山登りに臨んでいた。
結婚もせず、家庭も持たず、急に自分がこの世からいなくなっても迷惑の掛かりにくい職業につき、そして全ての休日をバリエーション登山にあてていた。
結婚もせず、家庭も持たず、急に自分がこの世からいなくなっても迷惑の掛かりにくい職業につき、そして全ての休日をバリエーション登山にあてていた。
それが良い事なのか悪い事なのか?普通なのか異常なのか?
一般的には異常だろうし、社会的には認められないだろう。
しかし、それだけ情熱を持っていた事は確か。
一般的には異常だろうし、社会的には認められないだろう。
しかし、それだけ情熱を持っていた事は確か。
そう。線を引くなら、覚悟がどこまであるのか?情熱がどこまであるのか?という事を基準に引くべきなのだ。
俺の場合、登山の為に家庭や子供や仕事などを犠牲にはできない。
沢登りと山スキーまでで一線引いたのは、これが大きな理由なのだ。
沢登りと山スキーまでで一線引いたのは、これが大きな理由なのだ。
俺にとっての登山は何なのか?
趣味?
レジャー?
スポーツ?
生きがい?
人生そのもの?
レジャー?
スポーツ?
生きがい?
人生そのもの?
かっこ悪いが、趣味だと思う。
覚悟も情熱も確かに持ってはいるのだが、その大きさは趣味の範囲内なのだ。
だけど、こんな事故まで起こしたのに俺はまだやりたいと思ってる。
だけど、こんな事故まで起こしたのに俺はまだやりたいと思ってる。
まだやりたいって思ってるという事は、まだ情熱があるという事だと思う。
なので、怪我が治った時に「まだやりたい」って思うようだったら素直にやるつもり。
もう四の五の理由を考えたりするのはやめよう。
やってみりゃわかるさ。
やってみりゃわかるさ。