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Channel: へべれけ登山隊のブログ
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雪山をなめてはいけません。

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あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
 
さて、今年の正月も超間抜けな遭難騒ぎがありましたねえ。
べそをかきながら「雪山があんなに恐ろしいなんて・・・」っていうアレです。
でもですねえ、実は神楽峰ってBCスキーとしては超が付く初心者向けの山だって知ってました?
あそこより初心者向けの山はあまり無いんですよ。
 
そんなわけで、逆に今回みたいな超お間抜けな遭難騒ぎが多くなっちゃうんだろうね。
雑誌や入門書などで、ほんのちょっとだけ山登りの知識を勉強しただけのスキーヤーやスノーボーダーの人たちが「初心者向け」と書かれている記事をよんで軽い気持ちでオフピステに入り込んじゃうパターンが多いんじゃないかな。
でもね、どんなに初心者向けの山でも、雪山は雪山。
最低限わかっていなくちゃいけない事が出来てないと、簡単に遭難しちゃうんだよね。
 
今回の遭難理由は道迷い。
でも、雪山に道なんてないので素直に道迷いってわけじゃないんだけど、つまり、自分の現在位置と、これから進むべき方向がわからなくなっちゃったって事なんだけど、これができない人は雪山に入っちゃダメなんだよね。
おそらく地形図やコンパスなんて持ってなくて、スマホの登山地図でもあてにしてたんじゃないかな?
雪山ではスマホやGPSを持ってたとしても、無造作に持ち歩いていると低温であっと言う間にバッテリーがダメになって使用不能になっちゃうんだよね。
なので、そんな場合は昔ながらの地形図とコンパス頼りなんだけど、おそらくあの人たちはコンパスと地形図があったとしても使えないんじゃないかな。
だって、それができるのは、ある程度は本気で山登りをしている人だもの。
もしも本気の山屋なら、見慣れない風景になっちゃった時点で現在位置の確認をするし、もしもできない条件だったら自分のトレースを戻るはずだもの。
あの人たちはスノーボード歴10年なんて言ってたけど、おそらく山屋としてはド素人だろうね。
ド素人たる理由をもう一つ。
男一人に女二人っていうメンバー構成で行ってるって事。
もちろんこの3人が実力者なら、なんの問題もないんだけど、山でトラブルが発生した時は最後は体力勝負。
「初心者っぽい女性を二人もつれて雪山に登るなんて、俺だったら絶対いやだね。」って友人のハイジも言ってたなあ。
 
ま、とにかく、山屋じゃないBCスキーヤーやBCボーダーの人に解かっててほしいのは、「BCスキーとは、スキーを使う雪山登山」だって事。
とってもリスキーなスポーツなんだよね。
 
とかなんとか、えらそうな事を言ってしまったけど、今年の正月は、俺も山をなめてるんだよな~
今回向かったのは北アルプスの白馬乗鞍。
ここも神楽同様にロープウエイとリフトで登れて、「なんちゃってBCスキー」が楽しめる所なんだけど、いざゲレンデトップまで上がってシールを張り付けようと思ったら、シールを車に忘れてきていたのよ。
一時はあきらめて下山しようと思ったんだけど、ある事を思いついちゃったんだよね。
それは、シールの代わりに、緊急用に持っていたロープをスキーにグルグル巻き付ければ登れるんじゃねえかなあ?って事。
で、実際にそうやって登ってみたんだけど、まあ、なんとか登れるんだよね~
ただし、ロープのグルグル巻きは目論見通り後ろに滑らないんだけど、前にも滑らない。なので、ハイクアップの時は一歩一歩スキーを持ち上げないと進まない。なので、えっれ~え疲れるのよ。
おまけにエッジがぜんぜん使えなくなっちゃうので、トラバース気味に進む時は谷方向にズルズル滑って恐ろしい事恐ろしい事。
そんなわけで、白馬乗鞍はもちろんだけど、その手前の天狗原にさえたどり着けずに途中で退却~って事になっちゃったんだよね。
そんなわけで、同行のパーティー5人も、全員が途中退却~
 
みなさん、ご迷惑をおかけしました。
 
というわけで、BCスキーはれっきとした雪山登山。
なめてかかっちゃダメですよ~
 
ロープ取付中
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ほらね。雪山だろ。スキーが無けりゃラッセルは地獄だよ~
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近況・・・というか愚痴。

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我が業界・・・年度末が近付いてくると土曜日はぜんぜん休めない。
へたをすると日曜も休めないっていう事がつづく嫌~な業界なのである。
 
で、今年もしかり。
1月も2月も土曜日は一度も休めていない。
 
考えてみると、年が明けてから山へ行ったのはゼロ!
運動不足の解消に半日程度、近所の低山へ歩きに行く程度はやっているが、そんなのは山行としてカウントできないから、やっぱりゼロなのだ。
せめて日曜だけの日帰りでも良いから行きたいのだが、単独の雪山ってえのもリスクが大きい。
しかし、色々な理由でいつもの仲間と調整できなかったり、急な用事ができちゃったり、日曜だけ天気が悪かったりなのである。
 
海釣りに行けたのも1回だけ・・・・
実はその時はハイジから新潟の山に誘われてたんだけど、それを断ってまで行ったのにもかかわらず、壊滅的に潮が悪くて、本命のヒラメはゼロ。外道にちっちぇえサバとちっちぇえメバルが数匹だけという釣果だった。
 
ま~あ、そんなわけで、現在の欲求不満はMAX。
 
俺って、なんでも良いから週に一回、せめて2週に1回くらいは大いに遊ばないと、体調までおかしくなってくるのである。
で、今の体調はというと、胃痛、腹痛、軽い下痢、軽い頭痛、そんでもって、なんとなく体がだるい。風邪の症状に近い感じなんだけど、そんなのがもう3週間も続いているのだ。
この症状も今の時期は毎年の事なんだけど、ぱ~あっと遊びまくると、すっかり解消しちゃうんだよな。
 
しかし、今週末も土曜は仕事決定。んで、またしても日曜の予報は雨・・・・
 
 
でも、愚痴ったんで、ちょっとスッキリしたかな・・・
 
 
 

平標

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漸く今年1回目の山スキーに行ってきました。
 
メンバー:はいじ、ささ、タク、ひなこ、タケ、へべれけ、かっきー(ゲロゲロにつき車で留守番)
 
行先はお手軽な平標山。
本当はもっとガッツリ系なところに行きたかったのですが、毎週のように週末の天気が悪く、予報を見ながら良さそうな山域に行くしかないって事で、たまたま今回は新潟方面に良い予報が出てたので行ってみたわけです。
が、しかし、いざ出発してみると向かう道中は雨。三国トンネル付近になってようやく雪に変わったけど、べしゃベしゃな雪。
いつもの小学校横の駐車スペースに到着するとビックリするほど沢山の車が停まっていました。みんな俺たち同様に天気の良さそうな場所を選んでやってきたんだろうけど、それにしてもすごい数の車。
相変わらず湿った雪が降り続いているし、山の上の方は濃いガスで空はねずみ色~
夕べの飲みすぎも加わって、なんとなくテンションが上がらず2時間ほどグダラグダラと躊躇していましたが、雪が小降りになってきたので、「いちおう登ってみますかあ?」って感じでハイクアップ開始。
もちろん頂上まで行くつもりなど毛頭なくてガスって来たら終了ね。という感じで登って行きます。
右の尾根への登りの途中で先行者がカットした表層が薄く雪崩れてきたりして、ますますテンションは下がります。
いちおうって感じで尾根まで上がってみると、底から先は濃いガス。突っ込んでもホワイトアウトっぽいのでそこからドロップすることに。
滑りは予想に反して意外と滑りやすい雪質。積もったばかりの重たい雪が10cmほどあって、急斜面ではその10cmがターンするたびに雪崩れて行くけど、まあ、春先の雪としては良い方かな。
高度を落とすと、さすがに重たくなって、スキーのコントロールができないベリーヘビーなベシャベシャ雪でした。
おかげで太ももパンパン。
 
という感じで、今年初めての山スキーでした。
 
今週末も雨予報・・・・意地悪だねえ・・・・・
 
これはタクちゃんかな。
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巻機山

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ザラメシーズンがやってきました。
パウダーも良いけど俺はザラメが好きだな~
で、今回は巻機山に行ってきました。
メンバーは、かっきー、ハイジ、ささ、タク、ひなこ、へべれけの計6名
 
AM4:00赤城IC付近でみんなと合流。
タクちゃんの車の後部座席に乗り込むと、ハイジとカッキー、すでに大盛りチューハイで盛り上がっていました。
当然ながら俺も宴会に巻き込まれ、清水集落付近の車デポ地に到着する頃にはすっかり良い気分♪
 
6:00
ひな子も合流してハイクアップを開始します。
巻機山って何気に長いし標高差も約1400mもあるので、本来なら飲みながら登るような山じゃ無いんですけど、飲んじまったものは仕方がありません。
ワハハワハハと楽しみながら登ります。
休憩のたびにプシュプシュやりながら、だ~らだ~らと登って行きます。
そんなわけで、ほとんどの後続者に追い抜かれてしまいます。
でも良いんです。
パウダー滑りの時期は先に滑らないと雪面がズタズタにされちゃうから急がなきゃいけませんが、ザラメシーズンはあわてる必要ないのよね~。
でも、あまりのダラダラペースに嫌気のさしているカッキー。先頭でどんどん登って行っちゃいますが、待ち時間が長いので、やっぱり飲んでるんだよね(笑)
 
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雪質はガリガリ。
井戸の壁の登攀はちょっと恐ろしいです。
俺とひな子はアイゼンしめてシートラーゲンで登ります。
ササ兄貴は滑落しちゃって、後から登ってきた見も知らずの人に助けてもらったとか・・・馬鹿だね~
 
もの凄い良い天気でみんなTシャツです
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ニセ巻藤の登りも怖いのでシートラーゲンで直登します。
カキ、ササ、タクの3人は右にトラバースしてシールで登ります。
どちらが速かったかというと、アイゼン直登組の完敗。
トラバースルートは雪がゆるんできてクトーが必要ないほど簡単だったらしい。
 
ご希望の巻機にこれて、ひな子ご満悦♪
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さて、巻機山へ向けて最後の登りです。
が、しかし、
運動不足に加え大幅体重増加の俺の脚はニセ巻機の時点で悲鳴をあげていました。
鞍部を越えて間もなくの所で足が攣ります。
行動水代わりにチューハイなんぞを飲みながら登っているので気合も入りません。
さらにペースを落としてダ~ラダ~ラと登ります。
 
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それでも12:40に頂上着です。
登りに要した時間は約6時間30分でした。
前回来たときは二日酔いで気持ち悪くてゲロゲロ吐きながらも6時間でした。
ま、良しとしましょう。
快晴の頂上 良い気分です。
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さてさて、お待ちかねの滑降です。
計画書では米子沢を滑る予定でしたが、この陽気じゃ雪崩の巣だろうし、米子って滑っても意外と楽しくないんだよね。
リスキーで楽しくないなら、米子は止めて往路を下った方がかえって良いんじゃね?という意見に満場一致で往路の尾根滑降に決定~。
で、これが大当たり。
適度に緩んだ斜面は最高のザラメになっていました。
みな歓喜の雄叫びを上げながらカッ飛んで滑ります。
上部のオープンバーンは貸切のスキー場みたい。
井戸壁の上部がややザクザクベシャベシャでしたが、それ以外は最高~
途中、ウイスキーなど飲みながらも15時には車デポ地に下山しました。
 
最高の山スキーでした。
 
ハイジ編集の動画↓

鳥海山・月山 東北遠征

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楽しいGWも終了してしまいました。
今回も恒例となった東北遠征に行ってきました。
向かったのは月山と鳥海山。
 
メンバーはCLのカッキーにハイジ、たけお、ひな子、ひらべ、フナっしー、ニシ、カピ、へべれけ 総勢9名の大所帯。
 
実を言うと、どちらの山も過去に行っている山なんですけど、なぜか毎回酷いホワイトアウトの吹雪に見舞われちゃって、いったいどんな山に登ったのか全然わからないという散々な結果に終わっていたのですが、今回、3度目にして凄い良いお天気の月山と鳥海山に登る事が出来ました。
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ただ・・・雪がとにかく少ないのよね。
このところの高温と断続的に降った雨が原因なんだろうけど、例年より5m以上雪が少ない感じ。だって樹林帯のハイクアップ時に赤テープのマーキングが5mくらい上の方の枝にむすんであったもの。
 
鳥海の獅子ガ鼻からのスタートは、まさかの2時間の藪漕ぎ。いつもなら木道の終点からシールで登れたんだけど、今回は雪が溶けてなくなっちゃってて、水芭蕉とか新緑が綺麗なんだけど、ひたすら湿地帯を藪漕ぎで進まなければならなかったのよね。
俺とかカッキーとかヒラベなんかは沢登りで藪漕ぎに慣れてるからどうって事はないんだけど、ひな子とか初心者のカピなんかはキツかったんじゃないかな。
 
雪質はというと月山も鳥海もウエットザラメでそこそこ滑りやすいんだけど、雨が流れた跡が縦溝になっていてウオッシュボード状態。滑れないほどじゃないけど、あれさえなけりゃもっと気持ちよかったんだけどね~
 
それと、ちょっと不気味だったのが滑っているうちにスキーがどんどん走らなくなってきて、しまいにはシールを剥し忘れて滑ってるんじゃないか?というほど走らなくなっちゃって、滑走面を点検してみると、真っ黒いタールみたいなベタベタがびっしりくっついてるのよね。
こんな事は初めてなのでビックリ!
ブナの樹液じゃね?とか、シールのグル―じゃね?とか色々と原因を考えてみましたが、森林限界より上でも発生したので樹液の可能性は低いし、全員の板が同じ状態になったのでグル―の可能性もゼロ。 
で、俺たちが導き出した結論は、「黄砂と一緒に中国から飛んできたPM.5が雪面に堆積してそれが滑走面にどんどん付着してタール状になったんじゃないかな。」というもの。
だってそれ以外考えられないもの。
PM.5は排煙のカス。つまりカーボン。滑走面に付着したベトベトは真っ黒だったので間違いないと思うんだよな~。説得力あるでしょ。
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これと同じものが呼吸しながら体に入ってると思うとちょっと恐ろしいよね。
ほんと迷惑な国だ。中国は!
 ま、この話はこの辺にしておいて・・・・
 
山行自体がどうだったかというと、非常に充実した内容だった。
初日の月山は雪不足すぎて登頂はやめにして、まだ雪がたっぷり残っていた隣の湯殿山の頂上からのドロップに変更したんだけど、山頂東側の急斜面は非常に気持ちよかった。
2日目の鳥海山はというと
出だしは2時間の藪漕ぎ。
急斜面こそ無いものの、真夏並みに日差しの強い中での標高差約1700mは相当な登りごたえがありました。
初心者のカピがいたのでゆっくり上る事ができて幸いでしたが、この冬、ほとんど山登りをしていない俺にとっては、ま~あ、キツイ事キツイ事。
パーティーがいつもの連中だけだったら地獄だったろうな(笑)
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それでも14時ちょうどに全員が登頂に成功♪
下りの滑降は大斜面を思う存分ブッ飛ばせたので大満足。
樹林帯に突入する所でフナっしーとカピが道迷いしていなくなっちゃうというトラブルもあったけど2時間後に無事合流。
あそこって間違いやすいんだよね。沢が下流に向かって二股に分かれるという変な地形だし、そこから樹林が始まるので見通しは悪いしね。
実を言うと、先行していた俺も同じ場所で間違ったのよね。すぐに気が付いて修正したんだけど、間違った方向に下りトレースを付けたのは俺なので、二人がそれにつられてしまった可能性はあるよな~。
ま、無事だったから良いでしょ。
そんなロスタイムもあったけど日没前には全員そろって下山。
温泉入ってテント宴会を楽しみました。
 
翌日は飯豊山の予定だったけど、この雪不足じゃ猛烈な藪漕ぎだろうし、登りのほとんどをシートラーゲンデ登る事になっちゃうだろうって事で中止。
もっとも、俺としては鳥海でお腹いっぱいになってたんで、条件が良かったとしても行きたくなかったけどね・・・・
そんなわけで、3日目はダラダラと帰宅する事に決定。
酒田の海鮮市場の刺身で一杯やったり、ラーメン屋をハシゴしたりしながら帰宅となりました。
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いろいろありましたが、結論的には、凄い良いお天気と、いつもの愉快な仲間たちのおかげで素晴らしい山行となったのでした。
 
同行のみなさんありがと~
 
で、連休はまだ二日間残っていたので釣船を予約して大洗に釣りに行くことに。
潮も良いし水温も上がってきたので釣れるだろうな~と思っていたのですが、たくさん釣れました~♪
ソイ、ヒラメ、ホウボウ、アイナメ、黒メバル、ウスメバルと大漁でした。しかも良いサイズばっかり。
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良いGWでした~
 
タケ編集月山動画
タケ編集鳥海山動画
 
フナっし編集月山動画
フナっし編集鳥海山動画
 
月山ハイジレポ
鳥海ハイジレポ
 
 

我家の食卓

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今日は珍しく料理ネタ。
こんなに魚釣っちゃって全部食えるのかあ?って思う人もいるので、ちょっとだけ料理を紹介する事にします。
うちの家内は魚がおろせないので、全部俺がつくってるんですよ~
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まずは定番のお刺身。
これ、知識が無いと美味しく作れないんです。
今回は魚のおろし方とかは紹介しませんが、絞めとエージングのお話しです。
俺の場合、釣った魚はすぐにその場で即死させます。理由はめんどくさいから書きませんが、その方が美味しくなるのです。絞め方は魚の種類で色々ありますが、基本的には首の根本の背骨をぶった切って即死させて、同時にエラの付け根の動脈を切断させて大量出血させるのです。
しかるのちにクーラーにぶち込むわけですが、クーラーの中には氷だけ入れて、海水を入れたりしません。(青物の時は海水氷にします)
理由はクーラーの中の温度を3℃~5℃にする為です。これ以上温度を下げちゃうと死後硬直が早まってしまうからです。つまり腐敗が早まっちゃうって事なんだよね。めんどうだからこれも理由は説明しないけど、そーなんですよ~。
で、家に帰ったら直ちに3枚に卸して皮も引いちゃいます。つまりサクにしちゃうわけです。
さて、ここからが肝心。この状態で刺身にしても美味しくないんです。
魚の身はまだ生きてる状態なので凄い弾力。というかほとんどゴム状態。なのでここからさらにエージングさせなきゃ美味しくありません。
やり方はキッチンペーパーを皮じゃない方にだけ当ててラップでくるんでパーシャル保存するだけ。
こうする事で余分な水分をペーパーが吸い取ってくれるのよね。皮側にまでペーパー充てるとカピカピになっちゃうので注意ですよ~
一晩たったら翌朝一度取り出してペーパーは外しちゃいます。で、新しいラップにくるんでパーシャルに戻します。これをやらないと、やはり乾燥しすぎでカピカピになっちゃうんだよね。
んで、食べごろはおろしてから24時間以上たってからなのよ。
なぜかというと、エージングが進んでアミノ酸が増えてくる事と、身が良い具合に柔らかくなるから。
さて、ここから一週間くらいがお刺身のおもしろい所。
日を追うごとにエージングが進むので毎日、味と食感が変わります。どの時点で食べると一番おいしいかは人それぞれなんだけど、俺が好きなのはヒラメやソイだったら三日目。コチとかホウボウとかフグなど身がしっかりしてる魚は四日目かな。ちなみにアイナメはその日に食べてもそこそこ美味しい。
いずれにしてもほとんどの魚は一週間くらいは美味しく食べれるね。
 
下の写真は黒メバル、アイナメ、マゾイなんだけど、どれがどれだかわかる人は相当な食通だろうね。
これは一晩しかたってないので身はまだコリコリ状態。なので薄めにそぎ切りにしてあるのよ。
刺身も日を追うごとに硬さが変わるので切り方を変えるんですよ。基本はだんだん厚切りにしていきます。
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さて、今回は大漁だったので、お刺身以外にも最近はまっている中華風蒸し魚を紹介しましょう。
 
だれがつくっても滅多に失敗しないし、白身の魚なら大抵美味しく作れる料理なのでお勧めですよ~
 
まず、ウロコ、内臓、エラをとって綺麗に洗います。
余分な水分をペーパーでふき取ったら適当に塩をぶっかけます。
つぎに身に2~3か所切込みを入れて生姜のスライスを差し込みます。
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次にお皿にネギの股の部分。あの青臭っさい部分ね。それを敷き込んで
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その上にお魚を乗せます。こうすると蒸し器の中で蒸気がまんべんなく回るしネギの良い香りもつくんだよね。
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で、充分に沸騰した蒸し器で20分蒸します。この時の魚は1キロ以上の大きい黒メバルだったので20分蒸したけど、大きさ次第で加減は必要ですよ~
んで、蒸してる間に白髪ねぎをたっぷり作っておきましょう。
それと合せタレも作っておきましょう。作り方は水100CCに中華だし少々、醤油、酒、オイスターソース、砂糖、胡椒を適当にぶっこんで一瞬煮立たせるだけ。分量は適当でOK。こだわる必要ぜんぜん無しなんだけど濃いめの味にしてね。(右のちっこい鍋が合せタレね)
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これが蒸しあがった状態。所々皮が弾けて破れてるけど、これは魚が新鮮な証拠!こうならない魚は美味しくないと思うよ。
この時点でお皿にたまった汁を捨てて差し込んだ生姜も外します。
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作っておいた合せタレをぶっかけたら白髪ネギをたっぷり載せます。
で、最後の仕上げ!フライパンで煙が出るまで熱したサラダ油を御猪口に一杯くらいネギにジュワ~ってぶっかけるのです。この演出はパーティー向けに最高なんだよね。音とビジュアルの効果満点!
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完成です。
美味そうでしょ♪
今回は大漁だったので当分の間はこんな料理が続きそうです。
太るわけだよな~
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石垣島 釣り釣りリゾート

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クソ忙しい5月も終わって漸く一息ついています。
月初めに会社の研修でタイなんぞに行ってたりして、なんだか旅行づいていますが、今回は完全プライベートな離島リゾートで毎年恒例の石垣島に行ってきました。
メンバーは家内と浅草の姉御夫婦と実家の妹の計5名。
目的はもちろん釣り。普通の観光客みたいな事はしません。
釣る→飲む→食う→釣る→飲む→食う→釣る→飲む→食う。ひたすらこれの繰り返し~。
「そんなんじゃほかの参加者がつまらないんじゃね?」と思うでしょうけど、俺のプランにのっかたのが悪いのよ~。普通の観光はあきらめてもらいます。ワハハ
でも、まあ、俺も大人なんでね、いちおうグラスボートに乗せたり鍾乳洞に連れてったりはしたけどね。
でもマジでそれ以外は、ず~っと釣る→飲む→食うの繰り返しです。
さて、今回は5人という大所帯なもんで、二日目に予定している沖へ出ての釣りでは釣船を1艘チャーターしちゃいました。
乗り込んだのは毎年お世話になっている「しおさい丸」という、ちっこい船なんだけど、この船、チャーター料金が\65,000と、まあ普通なんだけど、その料金には釣り道具のレンタルやエサ代、仕掛け代なんかも含まれていて、しかもダイワのフラッグシップモデルのソルティガなんかを惜しげもなく貸し出してくれるので超リーズナブルなのである。
それに加え、毎年乗っている理由は船の二人のスタッフが非常に気に入っているのである。
それは船長のナカジという男と、中乗りのユウ隊員という青年の事なのだが、この二人のコンビネーションが非常によろしい。
ナカジ船長は根っからの釣り好きで、タフでワイルドでファンキーで、大雑把という感じ。しかしながら客を楽しませる心意気を強く感じさせるナイスガイなのだ。
で、ユウ隊員はというと、きちんと船長の対極にいてキメ細かな気配りができる真面目な好青年という感じなのであ~る。
これが二人とも同じようなタイプだったらうまく行かないだろーなと思う。とにかく良い感じなのだ。
そんなわけで、今までに何度もこの舟に乗っているのだ。
ナカジ船長は、とても日本人とは思えない良い意味で「いいかげん」なところがあって、初めてこの舟に乗った時は、4時間のグルクン体験釣りという約束で、たしか1人@7000円くらいの約束で乗り込んだのに、ちょっと俺が釣りの心得があるのを感じたのかどうかわからないが、2時間以上のサービス残業までしてくれて、胴付仕掛けで五目釣りをさせてくれたり、しまいには泳がせ仕掛けでアカジンも釣らせてくれるという大サービスぶりだったのだ。しかもその時の客は俺たち夫婦だけだったので船としては絶対赤字なはず。
また、ある時は、俺が二日酔いで全然釣れなくて不完全燃焼だった事があるのだが、翌日のパティ―の船にこっそり乗せてくれたりと、まあ、色々とナイスな「いいかげん」をしてもらっているのだ。
操船する船長なかじ
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で、今回もその好い加減さは発揮されたのだった。
今回の約束は1日チャーターであるからして、我々5人の貸切である。他人を気にせず悠々と楽しめるのがチャーターの醍醐味なのである。
ところが出航前日になって電話がかかってきた。内容は「チャコっていう女の子のプロアングラーも乗せても良いかな?」という物だった。普通なら「NO!」と言うべきところなのだが、俺はこの子がカワイイという事をネット上で知っていたのだ。なので「OK♪」と即答してしまったのであった。
このチャコという女の子、日本のトップアングラーというわけではないが「釣女ちゃこ」という芸名?で、主に関西方面のTVや雑誌なんかで活躍しているのだが、とにかく可愛いのだ。年齢は29歳。若さと大人の色気が良い具合に混ざり合っていて、まさに脂の乗り切った良い女なのであ~る。で、しゃべると大阪弁がまた可愛いのであ~る。
釣女ちゃこ(ちょうじょちゃこ)かわいいね~♪
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そしてなぜか、ドサクサまぎれという感じで、名古屋からきたという正体不明のオッチャンも1人乗り込んだのであった。
ま、こっちも相当に好い加減なので良しとしよう。
 
出航前の記念写真
 
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そんなわけで、メンツはというと
船長:ナカジ
中乗り:平柳ユウ隊員
へべれけ隊:5名
ゲスト:釣女ちゃこ、名古屋のオッチャン
9人を乗せたしおさい丸は8時に出航となり一路沖を目指した。行先は不明。ポイントは全て船長まかせである。
釣りのプランは、まずグルクンという魚を釣って生簀で生かしておく。グルクンが沢山釣れたら、こんどはグルクンをエサにして、でっかい針で大きい魚を狙うのだ。
俺はその合間に一つテンヤ、スロージグ、インチク、ラバージグなんかで遊ぶつもりで、色々な竿や仕掛けも持ち込んだのでいたのだが、今回のへべれけ隊メンバー、俺以外はド素人ばかり。あまり本気で釣りしちゃうのも大人げない。
どちらかというと、楽しくワイワイやろうよという雰囲気なので、ビールや泡盛なんかもクーラー満タンで持ち込んだのであった。
船は小一時間も走り続けていた。その間、ダラダラとビールなど飲んでしまったのでグルクンポイントに到着した時にはすっかり良い気分になってしまった。
で、みんな揃ってグルクン釣りを開始する。家内は俺の女房だからして釣りの経験はそこそこあるので問題ないのだが、それ以外は釣りの経験はゼロに等しい。リールの使い方すら知らないのでレクチャーが大変である。それでもグルクンはバンバン釣れるので楽しいのだ。
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一通り釣り方を教えてから俺は一つテンヤをやってみたのだが、エサ取りの小魚がもの凄い。ツンツン、ちょんちょんというアタリが多く、あっという間にエサが無くなってしまうのだ。そんなわけでぜんぜん面白くない。美味しくなさそうなカワハギが釣れたところで一つテンヤはやめにした。
チャコも俺と同じタイミングでテンヤ釣りを始めたようだが、同じような結果のようだ。
しかたがないので少し真面目にグルクン釣りをやる事にする。とにかくグルクンを沢山釣らないと次の大物狙いが始まらないからだ。
みんなちゃんと釣れてるかな?と、まわりを見渡すと妹の久仁子、すでに船酔いでのびていた。あねご夫婦と家内は順調にグルクンを釣り上げていた。
釣女ちゃこは右舷大トモの便所の横で船長からこの海の事など色々教えてもらっているようだ。
例の名古屋のオッチャはというと、グルクン釣らずに最初から泳がせ釣りをしていた。
しかも胴の間のど真ん中を陣取って通路をふさぐ形で座っているのだ。それに当然ながら俺たちが一生懸命釣ったグルクンをエサにしているわけだ。「この野郎~!俺たちのチャーター船に相乗りさせて貰っている身でありながら、その態度はねえだろ!」と思ったので、軽くジャブを入れてみる。ちょっと話をしてみると、どうやら釣りはド素人らしい。しおさい丸のFBで何度か見かけた顔なので、そこそこの釣り師なのかと思っていたのだが、しおさい丸以外では釣りをしたことが無いそうだ。よほどナカジ船長の面倒見が良いのが気に入ったようで、ちょくちょく通って来てはレンタルタックルで遊ばせてもらっているそうだ。
ま、ど素人じゃ釣り船のマナーが解からなくても仕方がないし、ナカジ船長には色々と借りがあるので大人げなく文句を言うのはやめておいた。
さてさて、気を取り直して続きを書こう。
グルクンが順調に確保できたのを見計らって左舷の大トモでフカセの横流しをやる事にする。
タックルはいつも通り超安物。通販で買った2800円のショアジグロッドにシマノのナスキー4000HG(約8000円)ラインはPE2号を200m、リーダーはフロロの8号。針は環付チヌ10号くらいの物を直接リーダーに外掛け結びで付けてオモリは無し。背掛けにしたグルクンを軽くぶん投げて、リールのベールは起こしたまんまで、あとはグルクンの好きに泳がせるだけ。
ほぼ同じタイミングでチャコも横泳がせを開始した様だ。
で、一投目でチャコの竿に反応!「おー!行くよ。行くよ。行くよ。行った。行った。行った。行ったあ~!!」とナカジ船長が叫ぶ。チャコ、ちょっと遅すぎのタイミングのアワセだったが見事フッキング。大物用の竿がギュンギュン撓っている。ビュンビュン横走りしているので青物に違いない。オマツリすると厄介なので俺のグルクンは大急ぎで回収。
さんざん走り回り浅草の兄貴の仕掛けを巻き込みながらも無事タモに治まったそいつは推定5キロ程の大きなスマガツオだった。良く太っていて美味そうである。
 
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前半の地合に突入したと確信した俺は、すかさず生きのいいグルクンに付け替えて仕掛けを流す。グルクンは元気いっぱいに泳いでいるらしくラインはパラパラと出て行った。70mほどラインが出たところでグルクンが暴れだした。大きな魚に怯えて逃げ回っているのだ。スプールに指を添えてラインの動きに集中する。すると急激にラインが引っ張られた。間違いなくアタリだ。すかさずベールを閉じてアワセをくれてやろうとしたが、それどころではなかった。ベールを閉じた時点で向こうアワセで完全にフッキングした魚は猛烈な勢いで走り出す。強めに設定したはずのドラグはギャンギャン唸りを上げて出て行ってしまう。さらにドラグを締め上げたが魚は止まらない。ラインの残りはおそらく50m。しかたがないのでスプールを掴んで無理矢理ファーストランを終わらせた。掛かった魚は間違いなく大物。少なくても今使っているタックルでは役不足なのは確実。慎重にポンピングでリールを巻き始めたが5mも巻かないうちに2度目の大暴れ。魚はぜんぜん疲れていない。最初と全然変わらない猛烈な勢いでラインが引っ張られ、あえなくブツン!
痛恨のラインブレイクであった。
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8号のリーダーでは細すぎたか・・・と、うなだれつつラインを回収し、切られたリーダーを点検してみると・・「ん?8号にしちゃ、なんだかやけに細くね?」と船長とチャコ。確かに細い・・・そうだった。忘れていた。昨日、陸っぱりでちっこいジグをぶん投げるために5号に落としたんだっけ。8号に戻すの忘れてた~。こりゃ切られるわけだわ。
それにしても、さっきの魚は何だったんだろう?俺的にはあの猛烈なトルクはイソマグロだと確信していたのだが、船長は「ありゃ絶対GTだな。」と断言していた。理由は相当な数のダツがウロウロしていたからだそうだ。ダツのいる所には必ずGTがいるのだそうだ。
まあ、確かにGTだったら嬉しいのだが・・・今回の俺のタックルチョイスにはGTの想定は無い。青物だったら10kg以内が限度のライトタックルなのである。
でもま、運が伴えば捕れる可能性もちょっとはあるので、大急ぎでリーダーを結びなおしてグルクンを流した。
すると間もなくで強烈なアタリ!またしてもドラグは唸りっぱなし。しかし今度のリーダーはちゃんと8号。先ほどより強気でやり取りしても良いはず。なので最初からスプールを手で押さえてしまう。それでもラインはどんどん出て行ってしまう。
と、突然!魚が諦めてしまったのか、なぜか全然抵抗しなくなってしまった。しかし確かな重さは伝わっているのでバレてしまったわけではない。
いったいどういう訳だ?
クルクルとリールを巻き、簡単に上がってきた魚体には、なんと下半身が無かった・・・
気の毒に、俺とのファイト中にサメに食われてしまったのだ。
下半身さえ付いていれば、なかなか良いサイズのフエフキダイだったのに・・・
またしても・・・・うな垂れる俺であった・・・・・・・・・・
という所で、前半戦は終了。
 
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11時から13時の間は潮止まりの時間帯なのが解かっていたので、どこかの島でソバでも食わせてくれと船長に頼んでおいたのだ。
で、鳩間島という小さな島でランチタイムとなった。滅多に来ることのできない小さな島なので、なんとなく良い気分であった。
小さな港の傍に一軒しかない小さなレストランで生ビールとタコライスを食った。美味であった。
せっかくなのでレストランのすぐ上の灯台まで上がって記念写真。
 
 
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さてと、午後は本日のハイライト!全員でグルクンを泳がせて大物を狙う。
午前中からビールやら泡盛やらを遠慮なく飲み続けていたので、すっかり良い気分でハイテンションだ。
船は港を出て、わずかの移動でポイント到着。
ハイテンションの俺は、とっとと自分の仕掛けを作り泳がせ釣りを開始する。今度はオモリを付けてバーチカルな泳がせだ。
連れの面倒は中乗りのユウ隊員にまかせてしまう。
が、しかし、縦の泳がせ釣りって暇なのだ。ロッドキーパーまで持ち込んだので、仕掛けを降ろしてキーパーにセットしてしまうと、あとはアタリがあるのをひたすら待つだけなのである。もはや飲みすぎ状態イケイケハイテンションの俺はじっとしていられず、ジグをあおったりインチクをぶん投げてみたりと、やりたい放題。
でもね、解かってるんです。こんな風に色々やっちゃう時って、かえって釣れないんだよね~。
で、最初に沈黙を破ったのは浅草の兄貴。釣り上げたのは大きなナポレオンフィッシュ。
滅多に釣れないレアな魚らしい。そんなわけで船内は大騒ぎ。なにが騒ぎかというと、しばらく前にユウ隊員がナポレオンフィッシュを釣り上げた事があって、とにかくレアな魚なので食ってしまうには忍びないし、リリースするのは勿体ないし、ど~する?という騒ぎになったそうだ。で、結局、新石垣空港の到着ロビーの大きな水槽でお客様をお迎えするという就職先が決まったというエピソードが、つい最近あったそうな。
なので、石垣空港のナポレオンフィッシュはユウ隊員の釣ったやつですからね~。
で、兄貴の釣ったナポレオン。ユウ隊員のナポレオンより二回り以上大きいらしいので大騒ぎになったのでした。
で、結局それがどうなったかというと、今夜食っちまう事に決定~!
 
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そんな騒ぎを指をくわえてうらやましく思っている時、今度は家内の竿が水中に突き刺さった。竿のしなり方はどう見ても大物。ユウ隊員がすぐ横で激を飛ばしているが家内の腕力ではどうにもならないらしい。竿先は海中に突き刺さったままギュンギュン引っ張られている。しかし相手が悪すぎたようで20秒足らずでラインブレイクとなってしまった。
タックルは船のレンタルなので大物用に違いないし、リーダーは20号だそうだ。それがあっけなく切られるんだから凄い海なのだ。ありゃあたぶんイソマグロかでっかいカンパチだろうな。
兄貴と家内の2回連続のアタリで午後の時合、つまり確変モードに突入したことは明らかだった。
俺は海底に向かって叫んだ。「おいしいグルクンだよ~。食べてちょーだい~。」
すると念力が通じたのか?俺の竿にも待望のアタリ!
竿先がコンコンコンコンと激しく震えだした。典型的な前アタリ。グルクンが大きな魚に怯えて暴れているのだ。
俺はそっとキーパーから竿を外して手持ちで本アタリを待つ。
「行け行け行け行け行け~」と喚きつつアワセのタイミングを見計らう。
すると竿先がクンクンとわずかに引っ張られた直後、グ~ンと海面に突き刺さる。教科書通りの本アタリだ。
ヒラメ釣りでさんざん鍛えたしなやかなアワセをくれてやると、イメージ通りに乗った。午前中の魚みたいに強烈な引きではないが、ファーストランはさすが南国の魚。グイグイドラグを滑らせる。しかし、今度のタックルはPE4号を巻いたベイトリール。棚も底から5m以上切っていたので強気で巻き上げれば根に潜られる事はない。
で、20mほど一気に巻き上げると観念したようにおとなしくなった。根魚特有な引きだ。「こりゃ絶対アカジンだな」と確信して巻き上げてみると、ん?赤くないぞ?シルエットはアカジンなんだけど、ちょっと変な色。大きさは3キロってところか。
船長に聞くとクルバニという種類らしい。まあアカジンと同様、高級魚には違いないので満足であった。
ちなみにアカジンの市場価格、kg@4000円だというから、このクルバニだっておそらく軽く1万円以上の高級魚なのだ。良い気分であった。
実を言うと、この時ちょっとしたアクシデントが起きてしまったのだ。魚を取り込んだ後、竿をロッドキーパーに戻したつもりだったのだが、釣れた魚と記念写真など撮ったあとに気が付いたのだが、竿は知らぬ間に海の底へと消えてしまった後だった。痛恨のミスであった。しかしそれでも良い気分は変わらないのであった。
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その後、浅草の兄貴がアカジンを釣り上げたところで、沖上がりとなった。
残念ながら我が隊の女衆3人は大物は釣れなかったが、全体的には上出来な釣行と言えるだろう。
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ちなみに名古屋のオッチャンも大物は釣れなかった。というか、グルクンさえ釣ってないので、この人だけ完全なボーズという結果に終わったのでした。
チャンチャン♪
 
ナポレオンフィッシュの握り。これを食った事のありヤツはそういないはず。意外と美味しい♪
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サマーキャンプ

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毎年恒例の沢宴会キャンプに行ってきました。
行き先は奥只見の某沢。ここには10年くらい前から毎年行ってるけど、ほんと、いつ行っても良い所だね。
今回はいつもと違って、小学生が2名と、大人のくせにクワガタ採りが大好きという男が1名参加したもんで、なんとなく正しい夏休み活動っていう感じになって非常に楽しかった。
特に小学生2人にとっては一生忘れられない思い出になったんじゃないかなあ。
なにしろ、沢のエキスパートや昆虫採集のエキスパート、渓流釣りの名人にくわえビバークの達人たちが勢ぞろいしてるんだから、へたな体験キャンプなんかに比べたら内容の濃さはくらべものにならないよね。
おまけに夜の宴会では、体力に物を言わせて担ぎ上げた豪華食材のオンパレードでお腹いっぱい美味しいものも食べられたしね。
そんなわけで大人たちもなんとなく童心に帰っちゃって、夢中になってクワガタ見つけたり魚釣ったり川で泳いだりで大騒ぎ。
良いサマーキャンプでした。
今年もう一回行きたいなあ。
 
出発~。けっこう歩きますよ~
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暑いので途中にある枝沢でクールダウン
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寒む~!ちょっと冷たすぎたかな
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クワガタなど採りながらのんびりね
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ミヤマクワガタ けっこう大物だよ
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ベースキャンプ
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良い雰囲気でしょ。
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ちょっと上流にはこんな大きな雪渓。涼しい~・・・というか夜は寒すぎ・・・
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イワナ
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塩焼きは強火の遠火でじっくり焼きます。左はタンドリー串焼きチキンね
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たこ焼き屋のオッサン。モウカリマッカ~
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料理は基本的に焚火ね。
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白熊専用!
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もうすでに飲みすぎね・・・
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おいおい・・そんなところでウンコしちゃだめだよ
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暗くなってきたから、もう大人の時間だよ。
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遭難事故報告

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発生日時:2015年7月25日 土曜 10:20頃
発生場所:片品川水系 三重泉沢 下流部 第一ゴルジュ
登山形態:沢登り
メンバー:吉田、本橋(仮名)
 
7:15頃
平川林道ゲート出発
8:15頃
三重泉橋より入渓。水量少なく楽な遡行が予想された。三重泉らしいナイスなイワナと戯れつつ、のんびりと遡行を開始する。
9:30頃
八丁クラガリの第一ゴルジュに差し掛かる。いつもなら左岸から高巻く場所なのだが、水量少ないし釜も埋まって浅いので水線突破を慣行。俺がリード。空身で登りザックを荷上げ。本橋を確保して突破完了。
10:20頃
第一ゴルジュを抜け、本当に何でもない、いたって平凡な場所。
高さ1.2mほどの段差をステミングで簡単に登る。ほぼ登り切り、右足は段差の上、左足はまだ段差の下。姿勢はクラウチングスタートの様な状態。
右足に全体重をかけ左足を段差の上に引き上げようとした瞬間、なぜか右足を置いた地面が10センチほど陥没。バランスを崩し体が上流方向へ倒れ始めた。
この時まずい事に、陥没した穴に右足が挟まったままなので、足は立った状態で固定され、体だけが倒れるという状態。この時の右足は折り曲げた屈伸状態だったので自由が利かず、
テコの原理で足首をへし折るような感じでそのまま横向きに転倒した。
この時はさほど痛みは無かったが、嫌なひねり方をしちゃったなあ。という程度だったので、捻挫程度と思っていた。
しかし、もしも捻挫だとしても、このまま遡行を続けるのは不可能と判断し、「ごめん。捻挫しちゃったみたいなんで、ここで退却かも・・・」と本橋に伝え、数分間すわったまま様子をみた。
しばらくたっても、さほど痛みを感じないので自力で立とうとしたが足首がクニャクニャで力が入らない。
右足を持ち上げてゆっくり振ってみると足首から先がプランプランと勝手に揺れてしまう。
この時点で骨折もしくは靭帯断裂と判断。
そして、遡行の継続どころか自力での下山すら極めて困難な状態に陥った事に気づく。
しかし、不思議とパニックには陥らず、冷静に状況の分析と今後の方針を考えた。
まずは同行者の橋本のサポートで自力下山をシミュレートしてみたが、どう考えても通過不可能な場所が数カ所予想された。無理をして橋本を巻き込んでの2次遭難は絶対に避けたい。
 
次に考えたのは、俺だけこの場所に一泊して、本橋は先に下山させ、山仲間のリーダー格である柿先(仮名)に状況を知らせてもらう事だった。彼も以前この沢に数回来ているので本橋に正確な場所と俺の置かれている状況を説明させれば、すぐに仲間内だけで救助隊を組織して迅速な行動を起こしてくれると思ったからだ。
しかし、この作戦には三つの大きなリスクが考えられた。
一つ目は本橋が単独で無事に下山できるかどうかという事。実は本橋は今回が沢登りデビューという初心者だった。しかし、ここまでにさほどの難所は無い。たった今通過した第一ゴルジュは登りは面倒だが下りは簡単。滝壺に飛び込んじゃえば良いのだ。唯一有るとすれば砂防堰堤の袖の上下流にある微妙なヘツリだけ。しかしそこも先ほどノーロープで二人で超えた場所なので、慎重に行けば問題ないはず。
二つ目のリスクは柿先が救助の体制をとれない可能性が高い事だった。彼の今日の行動予定が丹沢での沢登りと聞いていたからだ。
三つ目のリスクは今夜の天候。ここ数日、天候が不安定なので今夜大雨で増水する可能性も否めない。今いる場所はV字谷ゴルジュの底なのだ。増水すれば万事休すだ。
というわけで、いつもの仲間に救助してもらうには不確定要素とリスクが多すぎた。
 
残る手段は公の救助体制に頼る事なのだが、これは山屋の恥。特にバリエーションとなれば、なおさらだ。なので、できれば避けたい所なのだが、他には選択肢が無かった。
恥を忍んで群馬県警にヘリコプターでの救助を要請をしてくれと本橋にたのんだ。
しかし、これにも問題はあった。
今いる場所はV字状の狭い谷底。しかもかなりの数の高木が茂っていた。おそらく狭すぎて接近できないのではないかと思われた。
本橋に渡した遡行図と地形図で、今いる正確な場所を説明し、3人以上のサポートがあればヘリでのピックアップが容易な数百メートル下流にある堰堤上の河原まで移動も可能である事を伝え本橋を下山させた。
 
本橋を送り出してから自分なりにベストな行動をとろうと考えた。
まず、本橋が出発地にたどりつくまでのおおよその時間を2時間と予想した。車に乗り携帯圏内に移動し救助要請をするまでに30分。
救助隊が連絡を受けヘリを飛ばすまで30分。そして飛行時間が15分と予想した。
つまり、救助ヘリが到着するまで最速で3時間15分と予想した。

さて、この3時間15分の間に自分でできる事は何だ?
まずは自分の足の応急処置。緊急装備の中のテーピングテープを靴の上から巻いて足首を固定した。靴を脱いで患部を確認する事はあえてしなかった。見てどんな状態になってたとしてもどうしようもないし、予想通り骨折していたとしたら、この後どんどん腫れてきて二度と靴を履けなくなってしまう事を知っていたからだ。
ヘリがこの場所でのピックアップができない場合、数百メートル下流の堰堤上部の河原までの移動をしなければならないので、靴を履いていなかったらそれすらできなくなってしまうと思ったのだ。
何度も言うが、この場所はゴルジュの中。担架に乗せて体重80キロの人間を人力で運ぶなんて不可能である。現実的なのは痛いのを我慢させて川の中を流して運んだり、肩をかして歩かせたり、おんぶして運ぶという方法しか考えられなかった。
なので靴は履いたままでテーピングをした。とりあえず固定はできた。
次に発見されやすくするための方法を考えた。
まずは樹木の下から出る事。少々暑いが日向に移動した。右足が利かないので僅かな移動でも大変だ。その場所は源流域のデコボコ地形だからだ。
次に、一度ザックの中の物を全部出して、なるべく目立つものを探した。赤色のレインウエアが一番目立つと思ったので、まずはそれを着込んだ。
次にヘリが接近してきた時に振り回せるものを考えた。キラキラ光る薄っぺらの銀マットがあった。それをいつでも振り回せる場所に置いた。
とりあえずやれることはそれだけだった。
あとは無駄な体力を使わない事だ。砂利の上に横たわり目を閉じて2時間だけ寝る事にした。腕時計のアラームをセットした。2時間たったら緊急装備の中のロキソニンという痛み止めを通常の倍量飲もうと思ったからだ。理由は堰堤上までの移動時の麻酔効果を狙ってだ。救助隊到着の1時間前に飲めばちょうど良く効いてくると思ったからだ。
しかし、徐々に右足首が痛み出してきて寝れない。それでも目を閉じ続け体力を温存した。

2時間でアラームが鳴ったので予定の倍の4錠のロキソニンを飲んだ(通常は1回1錠)。痛みがどんどん強くなってきていたので、それくらい飲まなければ痛くて移動できないと思ったからだ。
そして、それからの約1時間は、さまざまな事を考えながら救助を待った。
本橋は無事下山できただろうか・・・
もしもあと2時間たってもヘリの音が聞こえなかったら、本橋の身に何かあったと考えなきゃなあ・・・
もしそうだったら俺が救助に行かなきゃ・・・でも、無理だよな・・・
など、そのような事ばかり考えていた。
嫌な1時間だった。
 
そして、俺の予想通り、本橋を送り出してから3時間30分ほどでヘリの爆音が聞こえた。
ヘリは高速で左岸側の尾根伝いに北側へ飛んで行った。
以前に何かの本で読んだことがあるのだが、救助ヘリの基本行動は、「まず最初に爆音でヘリが来た事を遭難者に知らせる。しかるのちに徐々に遭難者に近づいていく。この間に遭難者は自分の存在をアピールする行動に出るので発見しやすいそうなのだ。」
そして、まさにその通り、ヘリは一旦南から北へ高速で飛び去り、Uターンして北側から真っ直ぐゆっくりこちらに近づいてきた。すでに俺のいる場所が解かっているようにピンポイントで近づいてくる。しかし、俺はまだヘリの機体を見ていないので向こうも解かっていないはず。
という事は、本橋が俺の遭難場所をピンポイントで正確に伝えたという証拠だった。
一安心だった。本橋は無事なのだ。
俺は片足で立ちあがり必死に銀マットを振り回した。
ヘリは俺の真上で静止しホバリングし始めた。ドアーが開き隊員が身を乗り出してこちらを確認した。
この後ホイストで隊員が下りてくれば救助可能。無理ならば下流の河原に一度隊員を降ろして、人力による河原までの移動後にピックアップだと思っていた。
どうなんだ?と思っているとヘリは徐々に南へ進みだし加速して視界から消えた。
ああ、やはり俺の予想通り河原までの移動なんだなと判断し、腹を決め準備を始めた。外してしまったネオプレーンスパッツを付け、ハーネスを絞めなおした。
と、ヘリコプターの爆音が近付いてきた。そして再び俺の真上で静止し、隊員が二人、ホイストで下降してきたのだ。今度は機体が北側を向いた状態だった。
隊員二人は木の枝にぶつかりつつも俺の真横3mの斜面に下降した。
そして、「吉田さんですね?橋本さんはどこですか?怪我をしているのは吉田さんなんですか?」俺の足のテーピングを見ながら矢継早に隊員が叫んだ。少々情報が交錯していたようだったが、そんなことはどうでも良い。必要な事はきちんと救助隊に伝わっていたのだ。
1人の隊員が俺の体に吊り上げ用のフルハーネスのような物を着せてくれた。もう1人の隊員は俺のザックを運んでくれるようで、散らかした荷物のパッキングまでしてくれている。
フルハーネスの準備が終わると隊員と一緒に吊り上げが始まった。一気に巻き上げられ側面のドアーから収容された。続いて俺のザックを背負った隊員が上がってきた。

そしてヘリは沼田の運動場にあるヘリポートへ向けて飛んで行った。
不謹慎だが、窓から見える平川流域の山並みが非常に美しく見えた。
ヘリには操縦士と副操縦士、後部席には隊長と思われる年配の方ともう一人、それと直接俺の救助に当たった若い隊員が2名で、計6名もの隊員が乗っていた。
俺一人の間抜けな遭難の為にこれほどの人数が・・・・と考えると胸が詰まった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
しかし、それどころではなかった。
ヘリポートに到着すると、そこには救急車が待機していて、ストレッチャーという寝台に俺を乗せ、ヘリから救急車まで4人がかりで俺を運んだ。
足は痛いが、それ以外はぜんぜん元気な俺は、いたたまれない気持ちというか、しでかした事の大きさに胸が痛んだ。骨折した足以上に胸が痛かった。
救急車は利根中央病院という所へ向かった。
レントゲンを撮り応急処置をすませ、結果を聞いた。
怪我は足首のすぐ上の細い方の骨の骨折と足首の脱臼だった。
この時の俺の正直な気持ちは「ああ骨折で良かった。重傷で良かった。捻挫とかの軽傷だったら申し訳なくて死にたくなるぞ。」というものだった。
 
一通りの処置が終わり、病院の待合室で休んでいると相棒の本橋が到着した。
俺は本橋に詫びと礼を言い、現場から出発してからの顛末を聞き、さらに落ち込んだ。
なんと、救助体制は空と陸からの2班体制で組織されていて、陸からの隊は20名近い人数が投入されていて、その中には消防隊、警察、地元消防団などの大勢が三重泉沢に向けて進んでいたという。その案内役を本橋がしていたらしい。
なんでも、遭難した場所が場所だけに、ヘリでの救助はできないだろうという予測が立てられていて、陸からの救助には相当数の人数が必要との判断で、大勢が向かっていたそうだ。
消防や警察の方はともかく・・・と言うと失礼だが、消防分団は地元有志のボランティアだ。つまり普段は別の仕事をしている一般人。自分の仕事をほうっておかせて、あんな危険な場所へ向かわせてしまったのだ。まったくもって、申し訳ないの一言だった。
 
これを書いている今、実は心の整理はついていない。そしてこれを書いている「今」と言うのは、事故の翌日である。遭難したのは昨日の事なのだ。怪我をした右足は応急処置の包帯と簡易な添え木だけ。患部はズキズキと痛んでいる。
そして、なぜ、心の整理がつかないままこれを書いているのかと言うと、事故直後のフレッシュな自分の気持ちを残しておきたかったからなのだ。
それと、事故の原因が墜落や滑落など、登攀時のミスではなく、なんでもない場所で起こした事故なので、登山をする全ての人に起きうる事。この報告が少しでも誰かの為になるかもしれないと思ったので、その時その時の正直な自分の気持ちをアップしていこうかと考えているのだ。
先の方にも書いたが、山屋にとって、遭難してヘリで救助されるというのは最大の恥。それをあえてブログやHPにアップするというのは、けっこう勇気が必要だ。
柿先には「お前はもうバツイチだ。」などとも言われてしまっている。
でも、あえて公開する事にする。おそらくこのレポは、職場の上司、親戚、山屋以外の友人たちなど、あまり見てほしくない人たちも見るだろう。
しかし、このレポを公開する事が、俺の救助で迷惑をかけた人たちへの恩返しに、少しはなるんじゃないかなとも思うし、また、これを書くことが自分への罰であり今後の戒めにもなると考えているのだ。
吉田 勝彦さんの写真

退院しました

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入院してまだ2週間ですが退院しました~。
7月25日 事故発生
7月28日 入院
7月29日 オペ
8月12日 退院
入院期間は2週間と1日でした。
怪我の内容は足首の骨折、靭帯の完全断裂、脱臼という豪華3点セット。
先生には足首の骨折としては4段階中のレベル4と言われていたので、長期入院も覚悟していましたが、術後わずか2週間しか経っていないのに「今日から全体重をかけて歩いても良い。ただしシーネ(簡易なギブス)を装着して足首は曲げない事。」という事になった。
足の骨折と言ったら少なくても1ヶ月間くらいは安静が必要と思っていたのですが、医学が進んでいるんですかねえ?
とにかく「歩いて良し。」と言われてしまったからにはもはや入院なんてしていられません。言われたその日に退院させていただきました~。
そんなわけで、今日からは好きな時にタバコも吸えるし、堂々と酒も飲めるし、風呂にも入れます。
やっぱりシャバは良いね~

今回の遭難についての考察

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本文中にも書いたが、事故は登攀中や高巻中などの事故ではなく、いたって平凡な場所で発生した。
全く平らな場所ではないが、わずか1.2m程度を乗越すという場所だった為、緊張感や恐怖感はゼロ。
ただし技術的には多少は必要な場所であった。左右に石と岩があり、その上流側に流木が挟まっていて小さな砂防ダムのような状態になっていた。流木は上の方にしか無く、下の方は砂利と砂でえぐれていて僅かにオーバーハングした状態だった。
なので階段のように普通に登る事は出来ず、左右の石と岩を使ってステミング(両手両足で突っ張り)で登った。
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登攀用語で書くと難しく感じるかもしれないが、少しでも登攀経験のある人にとっては登攀と言えるような難しいものではなく、無意識にササっとこなしてしまうような簡単な段差越えという程度である。
なので俺も、ほとんど無意識に体を動かし、これをステミングで登った。
そしてその直後にバランスを崩し事故を起こしたのだ。
直接の原因は流木の裏側に堆積した土砂のわずかな陥没。これでバランスを崩し転倒したのだ。
 
<ではなぜ陥没したのか?>
実は、当然と言えば当然の結果なのである。
その段差は大雨による出水時に、流れによって運ばれた流木や土砂が石と岩の隙間に挟まり、その裏に土砂などが自然に堆積してできた段差。これがもしも土砂だけだったら砂利や砂や玉石などがスクラムを組み結束されて意外としっかりした状態になるのだが、ここに落ち葉、小枝、泥などが混じる事によりスクラムの結束は不安定となり、場合によっては内部に空隙が発生したりするのである。
その空隙を上から踏み抜けば当然ながら地面は陥没するのである。
その時の俺はこれを予想しなかった。
しかも、俺の職業は土木技術者。この手の理屈についてはプロである。
なのに予想しなかった。

<何故予想しなかったのか>を考えてみた
まず、緊張感が足りなかった。最初の難所の第一ゴルジュを突破した直後の満足感と、次の難関はしばらく先と言う安心感で、思い切り油断していた。
また、そもそも今回の沢行は何度も来ているホームグラウンドのような沢だったので、緊張感が欠如していたのかもしれない。
そして、実はこの沢行は今シーズン初めての沢登りだった。しかも去年は様々な理由で沢登はほとんどしていない。8月末に単独で谷川の白毛門沢を遡行したのが最後だった。なので当然ながら、以前のような沢登りの感というか、そのようなものが弱くなっている事は明らかだった。
実は俺は、登山中に「感」という言葉を使うのは嫌いである。よく「登山に最も必要なのは動物的な感である。」というような事をえらそうに言う人が時々いるが、俺はそのような事を言う人が嫌いである。
登山中に最も必要なのは根拠に基づいた的確な判断だと思っているからだ。そもそも「感」という言葉には根拠が無いからだ。
しかし、沢登りなどのバリエーションな登山をしている時は「感」という言葉は絶対必要だと思っている。
もちろん地形図も見ないで感でルーファンしちゃうとか、天気予報も聞かないで観天望気だけで行動しちゃうとか、情報ゼロのはじめての沢にロープも持たずに突っ込むなどというのは言語道断な事なのだが・・・
 
たとえば今回の事故を起こした場所。
なんてことの無い場所なので、普通は立ち止まってルーファンなんてしない。歩きながら一瞬で何処をどう登ろうか感覚的に決める。そして頭の中でシミュレーションするなんて事もなく、手足はほぼ無意識に動きそこをクリアしていく。
 
また、動きそうな浮石が沢山あるガレ、ごろりと動きそうな石を使った飛び石、ヌルヌル滑る連続するナメ。このような場所の通過も同じである。いちいち立ち止まってルーファンなんかしない。まあ絶対しないわけじゃないが普通はしない。
大抵は歩きながら一瞬でルーファンを行い、手足はほぼ無意識に動かしそこをクリアしていくのだ。
つまり「感」なのだ。しかしこれは、根拠のない動物的感などでは無い。知識や経験という根拠を基に一瞬で脳が体に指令を出し、日ごろの訓練や摂生で鍛えられた肉体がそれに反応して身体を動かしているのだと思うのだ。
そして、この時の俺は、とにかくこの「感が鈍っていた」のだと思う。

さて、では次に、
<転倒を回避できなかったのか?>という問題について考えてみた。
2~3年前の俺だったら、あの程度の足元の陥没なら、難なくバランスを立て直していたと思う。
実は沢登りをしていれば、足元が陥没するなんて事は茶飯事。ちょくちょくある事なのだ。なので何度も経験している。そのたびにリカバリーして回避してきている。
足元がズブズブっとなった瞬間、ピョンと飛び上がったり、スッと足から体重を抜いて回避していた。
今回リカバリーできなかった理由は二つ。
一つは体重増加による運動能力の低下。一年前に比べ6kgも体重が増えていた。そして運動不足が理由で筋力も落ちていた。
二つ目は51歳という年齢。
「もう歳なんだからしょうがないじゃん。」と言いたいわけじゃあない。
確かに51歳といえば運動能力やら反射神経やらの低下はいかんともしがたいものがあるのだが、登山者の実力のピークは40~50歳という説を聞いたことがある。
瞬発力やスピードや反射神経などは若いやつらに到底及ばないが、知識や経験、判断力、我慢強さなどは、むしろ40歳を過ぎてからが上とされるという説である。
それが本当なら俺はピークからわずかに落ちたところにいるという事なのだ。
しかし、それには条件がある。その条件とは、継続して摂生や訓練を行っている事。つまり日常的に登山を継続していなければ無理なのである。
継続していれば「感」や「最低限の運動能力」も、さほど衰えないのだが、年齢ゆえに少しでも怠ると一気に衰えてしまうのだ。
数年前は毎週のように沢登りに行っていた。何かの都合で二週間も沢登りに行かないでいると、途端に山足が衰えて体が重く感じたり、なかなか疲労が抜けなかったりしたものだが、今回は一年ぶりの沢登り。しかも普通の登山すらほとんど行っていなかった。
冬の山スキー登山も数えるほどしか行っていなかった。
なので、この時の俺、登山者としての能力は限りなく初心者に近かったんだと思う。
 
<まとめ>
とまあ、そのような状態で沢登りに行っての事故だったのである。
結果的に事故になり、自力下山ができずヘリによる救助となってしまったのだが、この時の俺、けっして沢登りを舐めていたわけではない。
 
久しぶりの沢登りなので、「感」も体力も以前より衰えている事は自覚していた。なので行先は何度も遡行した事のある沢を選んだし、体力的にも技術的にも無理じゃないと判断していたし、登山開始前に景気づけの酒を飲んだりしなかったし、登山計画の詳細も作ったし、地形図には標高と水線も書き込んだし、荷物の軽量化も少しは考えたし、今回はリーダーという立場だったのでガチャも充分な量を用意して臨んでいたのだ。
 
また、「感」も体力も以前より衰えている事を自覚していた俺は、何度も経験済みの沢とはいえ、「今の俺でも行けるのか?」という、少なからずチャレンジ(挑戦)という気持ちを持ち合わせての沢行だった。
だが自信もあった。
しかし、結果は遭難である。
もしも怪我をしたのが、出だしの林道だったら、当然ながら自力で下山しただろう。そして結果はおそらく、単なる不注意による転倒での怪我という事で終わったと思う。
逆に、もしも四つもあるゴルジュの中心での事故だったら、同行の本橋が単独で下山し救助を求めるなんて不可能に近く、下山してこない俺たちを心配し、家族が騒ぎ、仲間たちが騒ぎ、警察に届けられ、何日も遅れてから遭難捜索が開始され、TVニュースに出るような騒ぎに発展していたと思う。
そして、もしも、最悪の場所での怪我だったら・・・
たとえばゴルジュ核心部のど真ん中、上流も下流も登攀が必要な滝で、左右は絶望的な切立った垂直壁。などという場所での事故だったら、死んじゃうまで有ると思う。
バリエーションて、そういう場所なのだ。
 
登山道は無い。他の登山者も滅多にいない。というか普通は誰もいない。携帯も通じない。足の骨でも折れば、それはもう遭難確定。
実力者ばかり5人も10人もいればパーティーでの自力下山もできるかもしれないが、そんな事は滅多に無い。
俺みたいに山岳会に属さない者は、2人か3人くらいのパーティーを組むのが普通。それでも全員が実力者なら良いが、今回みたいに2人での山行で1人は初心者という場合、リーダーが怪我をしてしまったら、それはもう絶望的に遭難に直結なのだ。
しつこい様だがバリエーションて、そういう場所なのだ。
 
今回も計画を書いている時にそのような事は考えた。しかし自信はあった。でも絶対の自信ではない。バリエーションに絶対なんて言葉は無いのだ。
「では、なんでリスクを承知で行ったのだ?」と思うかもしれない。
答えは「バリエーション=チャレンジ」だから。としか言えないが、俺はそう思っている。
バリエーションはリスクの大小はあっても、リスクゼロなんて事は絶対にないのだ。
そして、山をやらない人に必ず言われる事、「女房も子供もいるのに何でそんな危険な事を・・・。しょせん遊びでしょ・・・。遭難でもすれば色々な人に迷惑が・・・」などというセリフ。
実は今、俺の頭の中はこのセリフが繰り返し繰り返しリフレーンされている。
事故を起こしたばかりだし、いまだに普通に歩けないし、後遺症は必ず残ると言われている。
家庭内では入院費やら何やらで急な出費が多く、家計費のやり繰りで家内は不機嫌だ。
会社も突然仕事を放りだして1ヶ月以上も休んでしまったので、相当な迷惑をかけてしまっている。
 
リスクの高いバリエーション登山をやめるか?
  気持ちの整理はついていない。
 
普通の登山だけでも続けるか?
  いまさら普通の登山で満足できるわけがない。
 
怪我が治って沢登りに行くとしたら、遭難したあの沢からスタートしたいと思っている。
  でもまだ気持ちの整理はついていない。

登山の線引き

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登山には様々な種類とグレードが存在するのは誰でも知っている事。
 
散歩のように近所の低山をのんびり登るのも登山だし、厳冬期に重装備で森林限界をはるかに超える山に登るのも登山。
当然ながら危険性は厳冬期の高山の方が遥かに高いのだが、低山を散歩するような登山に危険はないのか?というとそうではない。意外と遭難事故は頻繁に発生しているし死亡事故だってありうるのだ。
低山登山の遭難理由は道迷いとかが多いらしいが、いずれにしてもそれなりのリスクは存在するのだ。
 
※ ここから先は俺の独断と偏見たっぷりな話なので、読みたくない人は読まないでほしい。違った考えの人と議論するつもりもないし。
 
さて、なんでみんな危険を承知で登山なんてするのか?
 
理由は一言で言うと「楽しいから」とか「気持ちいいから」なのだと思う。
で、実はこの理由、低山登山にも厳冬期の高所登山にも当てはまるのだ。
もちろん人それぞれ、もっと複雑な理由や思い入れや目的があって当然なのだが、基本的には「楽しい、気持ちいい」なんだと思う。
 
で、俺が思うには、「もっと楽しく」「もっと気持ちよく」を追及していくと、どんどん登山のグレードが上がっていくのだ。
 
登山をやらない人、もしくはやった事はあるけど嫌いな人に言わせると、「登山なんて、疲れるし危険だし汚れるし・・・」という、まさに「きつい、危険、きたないの3K」なのだが、登山者はこの3Kを楽しくて気持ちいい事と感じてしまう極めて特殊な人たちなのかもしれない。少なくても俺はそうだ。
「もっと楽しく」「もっと気持ちよく」を追及する為には、さらにきつく、さらに危険で、さらに汚れてしまう登山をしてしまうようになるのだ。(ま、汚れるのを気持ちいいと思う人は稀だと思うが・・・)
 
で、「もっと楽しく」「もっと気持ちよく」するには登山のグレードを上げていく事になるのだが、グレードを上げていくと、普通に登山道を歩く登山じゃなくなり、バリエーション登山という普通とはかけ離れ、安全第一とは逸脱した領域に入り込んでしまうのだが、そうなると一気に楽しさのレベルが跳ね上がる。そして当然ながら危険度は増してくる。
 
でも、みんな死にたくないし怪我もしたくないので、装備をそろえ、トレーニングをし、技術を高めていく。もちろん死なない為の知識も必要なので座学も必要だ。
こうなってくると、もう楽しくて楽しくて仕方が無くなってくるのだ。
 
何でそんなに楽しいのか?
あえて簡単に言っちゃうけど「命がけの遊び」だからだ。
俺的には「命がけ」=「本気でやらないと死ぬまであるという事」と思っているのだが、本気でやる遊びは楽しいのだ。
 
登山はすべて命がけ。最初に書いたけど、軽いハイキングだって、ちょっとは命がけ。バリエーションだと、賭ける命の重さが大きくなるだけなのだ。
 
低山のハイキングしかしない人。
無雪期の縦走登山までの人。
沢登りや雪山もやる人。
成功率の低い海外の高所登山もする人。
 
これみんな命がけなのだ。賭ける命の重さがちがうだけ。
 
縦走登山までの人は命を賭けてるという意識は希薄だと思うけど、絶対賭けちゃってるんだよね。
 
さて、いくら楽しいからと言って、命がかかっているからには、どこかで線引きして死なないようにしなければならないのだが、博打と同じでこれが難しい。
 
俺の場合は
夏は中級程度までの沢登り。冬は山スキー。という所で線を引いている。
これが正しい判断なのかどうかは神様にしかわからないと思うが、まあ自分で判断するとここだったのだ。
 
気持ち的にはアルパインとかもやってみたいと思ていたのだが、あまりにもリスキー。
それをやるには、ある程度の犠牲が必要と思ったからだ。
その犠牲とは日常生活の事。
つまり家庭と仕事である。
 
それは真冬の南アルプスで逝ってしまったケモという友人に教わった。実際に教わったわけじゃないが、彼の生き様を見て教わった。
「覚悟をもって臨みましょう。」
彼がよく言っていた言葉だ。
 
その言葉通り、彼はまさに覚悟を持ち、日常を犠牲にして山登りに臨んでいた。
結婚もせず、家庭も持たず、急に自分がこの世からいなくなっても迷惑の掛かりにくい職業につき、そして全ての休日をバリエーション登山にあてていた。
 
それが良い事なのか悪い事なのか?普通なのか異常なのか?
一般的には異常だろうし、社会的には認められないだろう。
しかし、それだけ情熱を持っていた事は確か。
 
そう。線を引くなら、覚悟がどこまであるのか?情熱がどこまであるのか?という事を基準に引くべきなのだ。
 
俺の場合、登山の為に家庭や子供や仕事などを犠牲にはできない。
沢登りと山スキーまでで一線引いたのは、これが大きな理由なのだ。
 
俺にとっての登山は何なのか?
 
趣味?
レジャー?
スポーツ?
生きがい?
人生そのもの?
 
かっこ悪いが、趣味だと思う。
 
覚悟も情熱も確かに持ってはいるのだが、その大きさは趣味の範囲内なのだ。
だけど、こんな事故まで起こしたのに俺はまだやりたいと思ってる。
まだやりたいって思ってるという事は、まだ情熱があるという事だと思う。
なので、怪我が治った時に「まだやりたい」って思うようだったら素直にやるつもり。
 
もう四の五の理由を考えたりするのはやめよう。
やってみりゃわかるさ。

谷川岳リハビリ山行

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7月25日の怪我から80日が経過した。
怪我の経過も良く、9月の末の診察では全てのスポーツが解禁となり、登山だろうがサッカーだろうがやって良いという事になった。
骨折した骨には、いまだに金属プレートにビス7本が打込まれているのだが、痛みもなく、普段の生活には全く支障は無くなっていた。
しかし、運動した時の足首の痛みは相変わらずで、完全断裂した踝の靭帯と、なぜか痛めていないはずのアキレス腱の痛みは続いていた。
しかし、先生が言うには「少々痛くても我慢して動かすほうが良い。」と言われていたので普段の生活でも積極的に動かしまくっていた。
9月の上旬からは装具を付けたままだが、舗装路を15kmから20kmほど歩く長距離歩行の訓練も始めていたので、筋力の回復はかなりの所まで来ていたのだが、どうにも足首の痛みだけがとれないのだった。
特に下り坂の歩行が困難で、段差の大きい階段や長い下り坂ではいつも痛みが伴ったのだが、ここ最近になって、まあ、なんとか我慢できるようになってきたのだ。
で、そろそろ山歩きを再開しても良いかもな。と思ったので、初心者向けのコースを歩くことにした。
 
おそらく登りは問題ないはず。しかし下りは相当にきついはず。
 
という事で、谷川岳を選択した。
谷川なら下りでロープウエイが使えるのだ。
しかし、天神尾根の下りは物凄い渋滞のはず。なんたって秋の紅葉が真っ盛りの時期だから。
でも、それも問題ないはず。何しろ渋滞で待たされるどころか、おそらくは俺が渋滞の原因になる可能性の方が大きいからね。
 
そんなわけで、コースは
マチガ沢のルンゼを眺めながら登る巌剛新道からスタートし、西黒尾根に合流。
頂上からの下りは天神尾根を使い最後はロープウエイで楽々下山と言う予定を立てた。
登り標高差、約1250m
下り標高差、約650m
これなら何とかなるはず。
 
で、朝8時に登山を開始した。
予想通りロープウエイの駅は紅葉狩りの登山者でごったがえしていた。
この分では天神尾根は凄い行列のはず。
しかし、巌剛新道から登る人はほとんどいなくて、西黒尾根に合流するまでは2人の登山者に会っただけで、非常に静かな山歩きを楽しめた。
しかも天気も上々。朝日に照らされたマチガ沢が素晴らしかった。
 
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西黒尾根に合流するとさすがに登山者が増えてきて、何カ所もある途中の鎖場では渋滞で待たされたが、リハビリ中の俺としては、ちょうど良い休憩になって苦にならない。
足の調子も良く、おそらくエアリアのコースタイムくらいで登れている感じ。
鎖場は全て鎖を使わず登る。
簡単な岩場とはいえ久しぶりの登攀なので、とても楽しく感じた。
 
で、登山開始から3時間30分。
11時30分に山頂のトマノ耳に達した。
8月中旬まで車椅子の厄介になっていた身としては上々の結果だった。
良い気分だった。
 
さて、問題は、これから始まる下りだ。
「右足よ、最後まで持ってくれよ~」と念じながら、ゆっくり下山を開始する。
 
しかし片の小屋まで降りただけで、右足首がガクガク言い出した。
右足をかばいながら慎重に下る。
すぐに木製の階段が現れるが、これが最悪だった。
意外と段差が大きいので、一歩毎に痛みが走る。
階段が終わるころには右足をかばっていた左足の脹脛まで痛み出してしまった。
 
懺悔岩を通過するころには、予想通り、俺が渋滞の原因をつくっていた。
なるべく端っこを歩き、「お先にどうぞ~」とペコペコ頭を下げながら下る。
 
念の為持ってきたダブルストックを使い、ロボットのようにギクシャクした歩調で下っていると、年配のオバサンが追い越しざまに言った。
「膝が痛くなっちゃったの?こういう所に来るならもう少し練習してから来なくちゃ・・」
 
屈辱だった・・・
おそらく俺のノロノロペースで待たされてイライラしてたんだろうけど・・・
 しかし、思わず俺の口から出た言葉は「どうもすいません」だった。
理由はどうあれ迷惑をかけている事には違いないし、言い訳した所で意味ないし。
 
熊穴沢避難小屋を通過すると最後の試練が待っていた。
それはツルツルすべる例の木道だった。
もはや両足に力が入らないので、滑っちゃうと踏ん張りがきかないのだ。
ツルッと滑って右足首をギクっとやっちゃうかも・・・という恐怖との戦いだった。
 
そして、ほぼ全ての後続者に追い抜かれつつも、どうにか天神平に到着した。
下りに要した時間は、約2時間半だった。
 
しかし俺は満足だった。
要した時間も、ほぼ予想通り。
登りはおそらくコースタイムを切れるはず。しかし下りは2倍はかかるだろうな。というもの。
そしてそれが今回の俺の目標だったのだ。
で、その目標は達成されたのだ。
 
良い気分だった♪
 

袈裟丸山リハビリ山行

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先週に引き続きリハビリ山行
今回は地元の袈裟丸山。
標高差670m
アップダウンがあるので累積標高差は約800m
距離は往復で約10キロ
とまあ、ちょっと軽くハイキングするにはちょっと良い山なのである。
しかも自宅から登山口まで1時間足らずで行けるので、ホームグラウンドと言っていいほど何度も来ている山なのである。
 
歩くコースは弓の手コースと言われている、ほぼ全線が尾根歩きの気持ちいいコース。
春はシャクナゲとツツジが見事だし、秋は紅葉がきれいなので、年配の登山者に大人気のコースなのだ。
 
しかし、いつも花や紅葉などどうでも良いと思っている俺としては、単なるトレーニングの山として年に数回は来ているのだが、いままでの前袈裟の山頂までの所要時間はいつも2時間~2時間10分くらい。
案内図のコースタイムは3時間30分となっているので、まあ、普通の人よりは多少は早いペースで歩けていたはずである。
 
で、今回どうだったかと言うと、2時間50分かかった。
コースタイムよりは早いものの、今までの5割増しという時間を要したという事である。
しかも下りに2時間もかかっちゃってる。
ちなみに前回の下りに要した時間は1時間10分。
 
でもまあ、今の俺としては十分満足の結果なのだ。
未だに足首の痛みは続いている(特に下りで)ので、無理はできないのだが、前回の谷川岳の時よりだいぶ痛みが減った感じ。
筋力的にはまだまだ余裕を残して歩けたので、痛みさえ取れてくれれば事故前の脚力にかなり近づけるなという確信がもてた。
前回の診察でも「あと2ヶ月間くらいで痛みは無くなるはず」と先生に言われているので、12月後半にはタイムアタック的な山行もリハビリメニューに取り込んでいこうと思う。
 
紅葉は来週くらいがベストかな
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袈裟丸は藪山だけど景色はきれい
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山頂
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沢登り始動

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怪我の具合がよくなったので久しぶりに沢登りに行ってきました。
 
第一関門の滝です。高さは20mという所でしょうか・・・・
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というのはウソです。
実はこれ、伊豆の浄蓮の滝です。
 
本当の事をいうと、実家の両親を誘って家族旅行で伊豆に行ってきたのです。
 
ちなみに天城隧道です。
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なんだか石川さゆりの歌みたいですねえ。
 
今回の宿は雲見温泉。
温泉街からちっこい山の鞍部を越えて海側に行ってみると、絶景でした。
釣りをしたり
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ちょっと岩を登ってみたり。
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これ、千貫門っていう有名な岩だそうですが、山を越えないと見に行けないのでちょっとレアなのよね。
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今回は予算の都合もあって民宿に泊まりましたが、ま~あ、料理が凄いんだわ。
この船盛りの中身。マグロとかハマチとかの一般的な魚は全然なくて、ぜ~んぶ地魚。
6人で食ったんだけど多すぎて完食できませんでした。
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これは1.5キロはありそうなアマダイの香草蒸。贅沢でしょ
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雲見温泉に泊まるのはこれで2回目なんだけど、この温泉の民宿は昔から料理が凄いんだよね~
おすすめでっせ~

謹賀新年

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みなさん明けましておめでとうございます。
 
この正月休みは、ひたすら飲んでました。
足の骨折が完治していないので、お山の計画は立てませんでした。
山に雪が無いのでいつもの仲間からのお誘いもゼロ。
 
しかたがないので、ただただひたすら飲んでました。
カウントしたわけじゃないけど、たぶん毎日1升5合くらい飲んだんじゃないかな。
朝から晩までダラダラ飲んでるとそれくらいは飲んじゃうんだよね。
でも、あきらかに飲みすぎ。
肝臓は悲鳴をあげないから気をつけなきゃね。
 
まあ、そんなことで、今年もよろしくお願いします。
 
 

ホアヒン旅行記

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日時  :2016年6月22日~6月26日
メンバー:俺と家内(どっちも50代)
行程  :一日目 スワンナプーン国際空港からバスでホアヒンへ
            二日目 プタラクサホテルに滞在
            三日目 バンコクへの移動日だが移動手段は未定
 
タイはバンコクの南、約200キロに位置するホアヒンって所に行ってきました。
実は前々から行ってみたいと思っていたビーチリゾートなんだけど、なんでもホアヒンという所は、「タイの王様の保養地として古くから発展した優雅な気品漂う由緒正しいリゾート地」という触れ込みで、タイにありがちなゴーゴーバーとかマッサージパーラーとかの風俗系は無いらしい。大型ホテルもあんまり無くて交通の便も貧弱。
そんなわけで、ゆったりした時間が流れる昔ながらのアジアリゾートが満喫できそうな気がしていたのである。
実を言うと、今回の旅行、前回のパタヤに行った時と同様で、会社の研修旅行なのである。
俺の会社の研修旅行って非常に変わっていて、「交通費と宿泊費は出してやるから好きに楽しんできてヨシ!」という、団体行動が苦手な俺としては非常にありがたいシステムなのである。
で、会社が出してくれるのはバンコクまでの交通費と市内の高級ホテル3泊分だけ。
そこから先は自己負担なのだが、タイ国内で必要な予算なんてたかが知れているのであ~る。
 
さて、では旅行記を書こう。
 
6月22日
午後10時ごろ羽田空港到着
今回利用する飛行機はJALの深夜便。会社が用意してくれたシートはもちろんエコノミーだったのだが、チェックインの時に「1万円余分に払えばプレミアムエコノミークラスにアップグレードできまっせ~」と受付の兄ちゃんに言われた。
すでにビールとワンカップで良い気分になっていた俺は1万円払ってアップグレードしてしまったのだが、これは正解だった。シートがビジネスクラスと変わらない大きさだし、足元もとても広いのである。深夜便という事で熟睡できるのは嬉しいし、なにより普通より良い席に座っているという優越感が良い気分なのであった。
 
6月23日
夜中の0時40分に出発した飛行機は定刻通り5時過ぎにスワンナプーン国際空港に到着。
ここで俺たち夫婦は他の社員とお別れして約200キロ南のホアヒンへと向かう。
交通手段はBELL TRAVEL SERVICE っていう会社の高速バスで空港からホアヒンまでの直行便だ。ネットで予約できて値段は@約1000円と格安なのだが、大型バスにたった24席のゆったり設計で、シートの大きさは飛行機のビジネスクラスと同じくらい。車内にはトイレもついていて非常に快適であるという情報を掴んでいたので、出発数日前にネットで7:30発の一番バスを予約しておいたのだ。
滞りなく入国手続きを終え、空港1階8番出口付近にあるBELL TRAVEL SERVICE の受付カウンターに向かう。それはすぐに見つかった。ネットで送られてきた支払い済みのバウチャーを差し出すと胸に貼り付けるシールとチケットを渡される。チケットはすべてタイ語で書かれているので何が書いてあるのかさっぱりわからないが、出発15分前にここで待っていろと英語で言われた。

 
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出発まで1時間ほど時間があるので朝飯を食う事にする。受付カウンターのすぐ横にmagic foodっていうフードコートがあるのでそこに入ってみる。
どうやら地元人向けのフードコートらしく、全てタイのローカルフードのメニューだが、写真付の看板メニューがあるのでわかりやすい。1人分はおおむね150円くらいで食べられそうだ。おそらく、この空港内の食堂ではここが一番安いんじゃないだろうか。
入り口で100バーツ(約300円)分の食券を購入。
店内は混雑していたが、俺たち以外はすべてタイ人だった。
家内は良くわからないぶっかけ飯。俺は良くわからないワンタンメンを頼んだ。
一年ぶりのタイ飯なので美味しかった。
 
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定刻が近付いたのでカウンター前に戻る。約15名ほどが集まっていた。そのうちの半数が俺と同様に40リッターくらいのザックを背負っていた。
家内を連れての旅行にバックパックというのもどうかと思うかもしれないが、今回の旅行、予定を決めてあるのは行きだけで、帰りの予定はしていなかった。というか、バンコクへ戻るためのバスの予約方法が判らなかったのだ。なので、帰りの交通手段によっては相当な歩きが必要な場合が考えられるし、事によっては見知らぬ街で右往左往する可能性だってあるのだ。なんたって俺、タイ語はぜんぜんわからないし、英語力はせいぜい中学1年生か2年生程度。円滑なコミュニケーションは無理なのである。そんなわけでスーツケースという選択肢は無かったのである。
 
話をもどそう。
 
係りのオバサンが「ホアヒーン、ホアヒーン。」と言いながら歩き出したので、皆がゾロゾロ付いていく。道路を横切った先にバスは待っていた。
乗り込んだバスは情報通り、とても贅沢なゆったり設計。広い室内に大きなシート。後部奥にはトイレがあって、運転手の他に女性の乗務員が1人。飛行機と同様で客室と運転席は分厚いアクリルのガラス板で仕切られていた。
さすがに機内食までは出なかったが、乗り込むとすぐにミネラルウォーターが配られる。
ちなみにバス内での飲酒は禁止になってしまったそうだ。
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バスは定刻通り7:30に出発。
懐かしいバンコクの街並みの中をバスはどんどん走る。時間が早いのでお約束の渋滞もない。小一時間ほどで市街地を抜け、湿地滞の中をしばらく進む。そして間もなく4号線のクルージングに入る。100キロくらいで走っているのでおそらく高速道路なんだろうけど、日本のそれとは違い、自動車専用道路ではない。路側には普通に家もあるし、原チャリも走っている。しかも路側帯を逆走している原チャリを何台も見かけた・・・タイでは原チャリはバイクじゃなくてチャリ扱いなんだろうか・・・?
見える景色は鬱蒼としたジャングルだと予想していたのだが、そうではなかった。はるか遠くまで見渡せる背の低いブッシュの原野にヤシの木が点在しているという景色だ。
 
タイって亜熱帯だと思っていたのだが、分類はサバンナ気候だそうだ。サバンナはライオンとか像とかがいるアフリカが有名だが、タイもサバンナ気候なんだそうだ。
(※サバンナ気候:雨季と乾季が明確に分かれていてヤシの木が生えるような気候だそうだ)
で、その背の低いブッシュの原野はいつまでも延々と続き、すぐに景色には飽きてしまう。なぜかというと、けっして魅力的な景色ではないからだ。中途半端に店舗や民家や企業の大型看板なんかがあって、大自然のサバンナっていう物ではないからなのであった。
そんなわけですぐに眠くなってしまい寝てしまった。
 
10時を少し回ったころ目が覚めるとチャームに差し掛かっていた。
チャームとは、ホアヒンのちょっと北にある小さな街で、昔から地球の歩き方でも紹介されていてローカルにも好まれる田舎のリゾート地らしいのだが、実は田舎好きの俺はチャームも今回の行先候補に上げていたのだ。しかし、実際に来て見て「来なくてよかった」と思った。だって田舎過ぎるんだもの。
バスの窓から見た感じでは、ハイウエイと海の間にホテルが点在していて、他は例の背の低いブッシュの原野だけで、他にはなんにも無いのだ。
俺はアジアのローカルな生活感を感じながら優雅なホテル生活を楽しみたいのだ。
昼はホテルのビーチやプールで生ビールなど飲みながらのんびり過ごし、夜はローカル色満載の屋台とか市場とかで庶民の味を楽しみつつ地元の安酒をたっぷり飲みたいのである。
それをするにはチャームは田舎過ぎると思う・・・
 
チャームを過ぎると間もなくホアヒンに到着した。11時ちょい過ぎだった。
バスターミナルは町の中心より3キロほど南に下った場所であった。

 
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バスを降りるとすぐにお約束でタクシーの客引きが群がってくる。しかし、たいていの場合、こういった客引きドライバーはボッタクリなのだ。
なので完全無視を決め込む。そして道路に出て流しのタクシーを拾うのだ。
道路に出るとすぐに一台のタクシーがつかまった。タクシーと言ってもトラックの荷台を座席に改造したソンテウと呼ばれるものである。
とりあえず町の中心へ向かい昼飯を食う事にする。
 
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が、すぐにマーケットビレッジと書かれた大きなショッピングモールのような建物があったのでそこで降りてみた。タクシー代は一人@10バーツ(約30円)。安いね~
中に入ってみると、さまざまな種類のレストランが沢山あって、和食の店だけでも4店舗もある。寿司、鉄板焼、蕎麦うどん、と・・・ま~あ・・・こりゃ日本のショッピングモールと変わらないぞ・・・。
つまり、ぜんぜん面白くないじゃないの!!
という事で、再度道路に出てソンテウを拾って中心街へ向かう。
ここで、ソンテウの紹介。先にも書いたけど、素性は日本製の小型トラックである。荷台をてきとーに座席に改造したものなのだが、ドアーなどは無く、しっかり捉まってないと落っこちちゃうという安全性に欠けるタクシーなのだ。
いちおう屋根の上に日本と同じようなTAXIの看板が付いているので前から見てもそれとわかる。
バンコク市内では見たことないが、バンコク以外では、どこの町もソンテウが主流。
値段は決められた路線を走るものなら一律10バーツ(約30円)とかが多い。
えらく安いのだが、基本は乗合なので、ある程度人数が乗らないと出発してくれないし、途中途中でどんどん客を拾ったり降ろしたりするのでノロノロだが、それでも東京の路線バスよりずっと早いと思う。
降りたいときは屋根をコンコン叩いたりすればどこでも止まってくれる。
さてと、そんなソンテウにのってようやくホアヒンの中心地に到着した。我が家を出てから、実に17時間が経過していた。現在時刻は現地時間で12時。
ずいぶん遠くまできたもんだ。
 
ソンテウを降りたすぐそばにレストランがあったのでそこに入る。フランスのカフェーのように歩道にテーブルをはみ出させた席があったので、そこに座る。そして生ビールを2杯注文する。良く冷えたジョッキの生ビールは、注いだ瞬間から結露で水滴を滴らせ実にうまそうに見えた。で、ぐびぐびと一気にやる。染み渡るうまさであった。
料理は焼きソバとトムヤムクンを注文した。
焼きソバは美味かったが、なぜかトムヤムクンはトムヤムチキンが出てきてしまった。俺の発音が悪かったんだろうな。
 
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お代わりした二杯目のビールを飲み終えたので、時間つぶしのためにマッサージをすることにする。ホテルは午後2時からチェックインなので、まだ1時間半もあるのだ。
すぐ近くに暇そうな小さなマッサージ店を見つけた。入り口のウインドウに全身マッサージが1時間で165バーツと書かれていた。つまり日本円で500円。2人分でも1000円だった。
10年くらい前のバンコクで100バーツだった記憶があるので、だいぶ値上がりしたようだが、さすがに高いとは感じない。だって日本だったら1時間で3000円はするもの。
店に入ると、ま~あ粗末な感じでフットマッサージの椅子が3個。奥に全身マッサージ用の施術台が3個の小さな店だった。
で、施術するベットに案内されると、笑っちゃうほど大きなブカブカのパンツを渡され、裸になってこれに着替えろと言う。
俺は男だから良いが、家内にも同様なパンツ1枚しか渡さないのだ。つまりオッパイ丸出しになれと言うのである。しかも着替えはここでやれという。更衣室など無いのだ。ちなみに脱いだ物を入れるカゴすらないので、汚れないようにザックの上に脱いだものを乗せる。
開き直った家内、「恥ずかしがる歳じゃないわよ」とか言いながらオッパイ丸出しになった。幸いマッサージ師は女性だったのだが、男のスタッフからも見えちゃう位置であった。
しかし、ここのマッサージの技術は良かった。強すぎず弱すぎず、的確にツボを押さえる。17時間の長旅で疲れた体が蕩けていくようであった。
あまりにも満足なマッサージだったので支払は500バーツ(1500円)を渡し釣はチップとした。店のスタッフも満足そうに笑顔になった。たった500円でみんなが笑顔。マイペンライだ(違うか?)笑
 
タオルの下はノーブラです
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店を出るとちょうど午後2時だったのでホテルへ向かう。
予約したホテルはプタラクサという、ホアヒンで2番人気の小洒落た小さなホテル。いちおう高級な部類にあたるので俺というキャラには似つかわしくないのだが、今回は家内と一緒なので奮発したのである。
 
アイフォンのグーグルマップで位置を確認すると600mほどの距離だ。歩くには暑くていやだし、タクシー乗るには微妙に近いし・・という中途半端な距離だったが、結局歩いてしまった。
ホテルに入るとすぐに可愛らしい受付嬢が出迎えてくれた。
チェックインだと言うとウエルカムドリンクと冷たいオシボリが提供され、しばし待たされる。
というか、えらく待たされた。「まさかひょっとしてオーバーブッキングで部屋が無いとかかあ?」と不安になったころ、ようやく部屋に案内された。歩きながら待たせた理由らしいことを英語で説明してくれたが、俺の英語力で理解できたのは「用意できたのは2階の眺めのいい角部屋ですが、それで良いですか?」という事だけだった。
で、部屋に入ってビックリ。予約した部屋よりだいぶ広いのだ。予約したタイプの部屋が満室なので運よくこの部屋があてがわれたのかと思ったが、どうもそうではなく、他に空き部屋は結構あるように見受けられた。
そんなわけで、いまだに何で部屋がアップグレードされたのかは謎なのである。俺の英語力じゃそれを確認できないし・・・・まあ良いけどね。笑
 
さて、このプタラクサというホテル。非常に良かった。もちろんネットでしっかりリサーチしてから予約を入れたのだが、評判通りこじんまりした良いホテルだった。
ちなみに予約したのは一番安い部屋をさらにディスカウントされたもので一泊@約13,000円。(定価は約30,000円)。ホアヒンでは高級な部類なのだ。(※最高級じゃないですよ。)
で、このホテル、一言で言うと大人向けのリゾートホテルである。実際に熟年夫婦の欧米人が多く見受けられた。
プールサイドでは中年のオバサンはビキニだし、頭の禿げたオヤジは突き出たお腹を堂々とさらしながら日光浴を楽しんでいた。(まあ、俺たちの事でもあるけどね・・・笑)
もちろんピチピチのマイクロビキニの白人ギャルもいるので目の保養にも事欠かないのであ~る。

部屋からの眺め
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この写真を撮ったあと、盗撮で訴えられそうでドキドキした・・・笑
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大型ホテルのようにプールバーがあったりはしないのだが、プールには専属のスタッフが常駐していて、新しい客が来るとさりげなくタオルを運んできてくれたり、時々冷たいミネラルウオーターをクーラーボックスごと無料で運んできてくれたりと、キメ細かなサービスが嬉しい。もちろん頼めばトロピカルカクテルなんかも持ってきてくれるのだ。
街の中心部などに外出したいときはホテル専用のトゥクトゥクというオート三輪が用意されていて街まで無料で送ってくれる。
朝食のビュッフェも美味しかったし種類も豊富。
客室はと言うと、白を基調に品よくまとめられて良い雰囲気である。ベッドはキングサイズのダブルで程よい硬さ。毎日果物と氷のサービスがあって、とてもきれいに掃除してある。
どの部屋もバルコニーにはベットのような大きいソファーがあって、白いパイル地の清潔なカバーが付いている。若いカップルならそこでイチャイチャするもよし。本でも読みながらのんびりするのも良し。酒を飲みながら煙草をふかすのもよしなのである。(ちなみに室内は禁煙)
バスルームのシャワーの勢いとお湯の温度が低いのが難点だったが、まあ、そんなことはどうでも良いと感じられる満足のホテルだった。
 
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ホテル紹介はこの辺にして続きを書こう。
 
まあ、そんな感じで俺も家内もこのホテルは充分に気に入ったのだった。
ホテルで夕方までのんびり過ごし、夕方に例のトゥクトゥクで街まで送ってもらう。
この街にはナイトマーケットがあって、さまざまな雑貨や土産物などの屋台が立ち並ぶのだ。一画では新鮮なシーフードを食わせるレストランが軒を連ねていたりで、非常におもしろいのである。
 
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しかしそれは観光客を狙ったものに違いなく、ローカルな生活感を求める俺の欲求を満足させるものではなかったのだが、実は昼間ホテルに行く前にナイトマーケットの路地裏に見つけておいたのだ。活気あふれる地元民用の市場をね。で、夜はそこに遊びに来ようと楽しみにしていたのだが、そこは夜は店仕舞いした後だったのだ。
考えてみれば、それもそうなのである。地元民用の市場が夜までやっているわけがないのであった。
しかたがないので素直にナイトマーケットを楽しむことにした。
とは言っても、屋台で安物のお土産を買ったりするほど若くは無いので、とりあえず適当なバーに入って一杯やる事にする。そんな場合の店を選ぶコツは、長期滞在者らしき欧米人が多く座っている店を選べば大抵間違いはない。彼らは安くて居心地が良いい店にしか入らないからだ。

で、すぐにそのような店が見つかった。
俺はジャックダニエルのストレートを注文。家内にはなにかトロピカルなカクテルがよかろうとメニューを見ると、hua hin というカクテルがあったのでそれを注文した。ウエイトレスにどのようなカクテルなのか尋ねたのだが、怪しい笑顔を浮かべるだけで答えようとしなかった。またしても俺の英語が伝わらないのか?と思っていたのだが、運ばれてきたグラスを見て理解した。ジョークたっぷりのセクシーカクテルであった。
女性の体をモチーフしたグラスにナフキンで作ったかわいいビキニが着せてあったのだ。
田舎のレストランバーにしてはなかなか洒落ててよろしい。ますますホアヒンの町が好きになった。
ちなみに中身はラムベースのダイキリでアルコール度数は高め。
若い女の子を酔わせるには良いかもしれないが、我が家内、この程度じゃ屁とも思わないので面白くない・・・
 
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さてと、ウイスキーとダイキリですっかり良い気分になったので食事をすることに。
食べたいのはもちろんシーフード。
で、今いる店のとなりがシーフードレストランだった。
レストランといっても厨房が路上という屋台のようなレストランなのだが、鮮度の良さそうなエビや魚が氷の上に大量にディスプレーされていて、見るだけでも実に楽しい。料理は路上の厨房で豪快に調理されるのだが、高火力のバーナーで中華鍋を振るうので、ちょくちょく鍋から火柱が上がるのだ。そのたかさは2mくらい。これがまた見ていて実に楽しいのだ。
何を食おうか迷う所なのだが、タイに来たらとりあえず食べたかったのが、プーパッポンカリーという渡り蟹のカレー。店を仕切っていたオババに「つくれるか?」と聞くと「もちろん!」というので迷わず注文した。サイドメニューはホタテガイのグリル。バターとチーズのガーリックソースで味付けしてもらう。〆はエビチャーハンを頼んだ。
で、美味かったのかというと、まずまず及第点であった。
しかし、支払いの伝票をみてビックリ。2人でこれだけ食べてビールだって飲んだのに、日本円で1800円ほどだったのだ。コストパフォーマンスは素晴らしいと感じた。
 
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お腹も膨れたし、ずいぶん飲んだので、あとは帰って寝るだけ。流しのトゥクトゥクを拾ってホテルに帰った。ちなみにトゥクトゥクの料金は100バーツ(約300円)走る距離はたったの600m。昼間乗ったソンテウが10バーツだったことを考えると、えらく高いと感じたが、どのトゥクトゥクと交渉しても100バーツだというので、これが相場らしい。
でもまあ・・・300円だけどね 笑
 
 
6月24日
今日はのんびりゆっくりしていて良い日なので早起きする必要はないのだが、歳のせいなのか興奮のせいなのか判らないが7時前に目が覚めてしまう。
まだお腹もすいてないのでホテルの周辺を散歩する事に。
とりあえず道路を挟んで海側の宿泊棟のほうに行ってみる。このホテルの造りはちょっと変わっていて、道路の海側と山側と敷地が半々に分かれているのだ。ちなみに俺たちが泊まっている山側はアパート風の造りの一般客室で、海側はコテージ風の高級客室棟となっているのだ。行ってみると確かに良さそうだが、こっちは一泊5万円以上もするので普通の人には無理。いつか泊まってみたいものだ。
敷地を抜け海まで行ってみたが、海はまあ、きれいではない。というか汚い。ゴミや古タイヤなどの漂着物が散乱していて、最近の日本の海水浴場より汚い感じ。
ま、泳ぐ気にはなれないな。
 
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という事でこのビーチで長居する気分じゃないので朝飯を食いに行く。
ホテルのレストランは俺たちの部屋のとなりだった。
円形茅葺みたいな屋根の洒落た建物がそうだ。中に入ってみると既に8時だというのに客は俺たち以外に二人だけだった。
みんなまだ寝ているのだろう。
食事はバイキング形式だった、どの料理も優しい味付けがされていて美味かった。種類も豊富。
 
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朝飯を終えてからはしばしプールでまったりする。

今日の予定は特になにも決めてなかったのだが、俺は昨日行けなかったナイトマーケットの路地裏に見かけた例の市場にどうしても行きたかった。
家内もそういった市場などを冷やかすのは大好きなので、「行ってみようぜ」と誘ってみると「良いわねえ。私も水着とか買いたいし。」と、すぐに食いついてきた。
そんなわけで昼飯を絡めていく事にした。

11時ごろフロントに行きトゥクトゥクでナイトマーケットまで行きたい旨を伝えると「昼間はマーケットはやってませんよ。行っても何もありませんけど・・」みたいな事を言われた。やはりあの市場を見物に行く観光客はあまりいないらしい。
「まあ良いから良いから、とにかくトゥクトゥクにのせてくれよ。」という感じで無料トゥクトゥクで出発する。

テーマパークの乗り物のようなトゥクトゥク
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で、行ってみると、やっていました。市場!
入り口がとても狭くて分かりにくい市場なんだけど、中はかなり広くて活気にみなぎった正しいアジアの市場が展開されていた。魚と野菜と果物の市場らしいのだが、衣料品や雑貨品も売られている。
この市場で何か買いたいと言うわけじゃないのだが、とにかく俺はこういった所を見物するのが大好きなのだ。

 
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で、この市場の入り口に小さな食堂があるのだが、その店の入り口にあった大きい鍋の中に凄く食いたいと思っていたものを発見した。煮込み豚足だ。
20年くらい前に一人でサムイ島やパンガン島など旅行した時に、豚のモツと豚足のゴッタ煮のような物を食った事があるのだが、それがもの凄く美味しくて「また食いたいなあ」と思っていたものなのである。ここ店の物はモツまでは入っていなかったが、まあ似たような感じだ。
いても立ってもいられず早速注文した。通常は豚足を小さく切ってご飯に乗せて食べるものらしいが、ビールのつまみとして食いたいのでご飯抜きで注文する。煮卵も添えてもらった。付けあわせに小さい丸ごとのニンニクと小さい唐辛子が付いてきた。
その小さなニンニクと唐辛子をかじりながら食べるらしい。
さっそくそのようにして食べてみたのだが・・・・絶品であった。
豚足は甘辛くトロトロに煮込まれていて、噛み締めていると自分の脳味噌までトロトロになっていきそうだ。
家内はこういったビジュアルのよろしくない物は苦手なので俺が一人で全部食ってしまったのだが、食べ終わっても口の中には脂っこさなど微塵も無く、むしろ爽やかな余韻さえ残るほどの美味しさだった。
この料理、今回のタイ旅行で食った物の中でダントツ1位である。
 
豚足
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骨を外して食べやすい大きさに
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盛り付け完了
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小粒のニンニクと唐辛子2種類
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絶品です
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興味のある方は是非おためしあれ。
その後は、またしても昨日行ったマッサージ店でマッサージなど受け、家内の水着を買ったり(なんとビキニである)してホテルに帰る。
午後はプールでのんびり過ごした。
 
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夜はまたしてもナイトマーケットに行く。
今日はホアヒン最後の夜なので、贅沢をしようというのが目的だ。
家内は夕べのレストランが気に入っていたらしいが、同じ店と言うのもつまらないので夕べの店のとなりのレストランにした。まあ似たような感じの店なんだけどね。
で、値段など気にしないで美味そうなものを物色する。
とりあえずは1キロくらいのでっかいロブスターを一匹チョイス。半身をバターソースのグリルにしてもらい、もう半身はガーリック味で焼いてもらう。
ムール貝の蒸し物を1キロほど頼む。
さらに見た事の無い魚だが、ヒラスズキのような魚があったので、それは香草蒸にしてもらった。
付けあわせはもやし炒め。
この量、絶対に二人で食いきれない事は解かっているのだが「今日は贅沢する」が目的なので良いのだ。
飲み物はとりあえずビールで乾杯。二杯目からは免税店で買ったシーバスリーガルの12年を持ち込んだので、氷と水を注文してスコッチの水割りとした。
タイのレストランって酒の持ち込みとか全然OKなのである。おおらかで良いよね。
で、料理の味がどうだったかと言うと、まあ、昨日と同じで普通に及第点だ。
値段はと言うと、夕べの感じでだいたい予想はついていたが、あれだけの高級食材をたのんだにもかかわらず、日本円で約5800円だった。安いよね。これでも観光客向けの値段設定なんだよね~。熱海あたりで同じもの食ったら何万円するんだろ?
ま、二日目の夜もこんな感じで夜は更けていくのであった。
 
ハイテンションのウエイトレス
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持ち込みOKです
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6月25日
今日はバンコクへの移動日
しかし、帰りの足は確保できていない。

考えられる交通手段は
 
贅沢にタクシーだと6000円~8000円くらいらしい。値段はともかく面白くないのでこれは却下
 
列車だと1人1200円位らしいが、早朝とか夜遅くにしか便が無いのでこれも却下。でも、本当は列車で帰りたかった。外国で電車乗るの好きなんだよね。
 
エアコン付のバスだと1人1000円位でしかも快適なのが解かっているのだが、予約ができていない。でもこれが現実的なので第一候補。
 
残りはロットゥーと呼ばれるミニバス。おもにトヨタのハイエースなどのバンの乗合なのだが、おそらく狭いだろうし、安全性とか良くわからんので、これは第二候補。
 
 
早めに朝食を済ませ9時にチェックアウト。
とりあえずホアヒン駅近くのバス乗り場に行ってみた。
その場所はバス停でもあるのだがロットゥーの乗り場でもあった。
ロットゥーの客引きがうるさいのだが、無視してバスの受付に行ってみると、時刻表があり、それには10時と12時のバンコク行きが書かれていた。現在の時刻は9時40分。
ちょうどいいと思い10時のバンコク行きのチケットを頼むと、なんと、10時のバスは出ないという。なんで?と尋ねたが俺の英語力では理解不能~
とにかく10時のバスは無いのだ。
タイでは時刻表がインチキで、まったくもって信用できないという情報は持っていたのだが、まさしくその通りであった。
という事で交通手段の選択肢はロットゥーだけとなった。
しかたがないのでロットゥーの出発時刻を聞いてみると、帰ってきた答えは「NOW!」だという。値段はバンコクの戦勝記念公園まで@500円だという。
決定であった。
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切符を買い車に乗り込む。乗客は俺たち2人だけ。「貸切じゃん。これで一人500円なら凄い安いよな。」と喜んでいたのだが・・・
NOWと言った割にぜんぜん出発する気配が無い。
すぐに気が付いた。「NOW=今」というのはウソで、お客が集まったらスグに出発するという意味だったのだ。
結局、20分ほどの間に続々とお客が乗り込みほぼ満席になった。俺たちを含む外国人が半分。地元タイ人が半分くらい。赤ちゃんを抱いたタイ人のお母さんなんかもいて、ローカル色満載だ。俺は腹が立つどころか、だんだん楽しくなってきた。
こういったローカルにどっぷりつかるのが大好きなのだ。

 
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結局ロットゥーは10時に出発となった。
この分なら13時にはバンコクだなと思っていたら、このロットゥー、頻繁にあちこちに止まるのだ。バンコクまでまっしぐらと思っていたのだが、路線バスのように、あちこちに停留所みたいな物があって、そのたびに地元客を乗せたり降ろしたりして小銭を稼いでいるようであった。
だがそれもチャームの町までで、その後は4号ハイウエイをビュンビュン飛ばして走った。
運転はけっして丁寧ではなく時速100キロからの急ブレーキも頻繁で、とても2種免許を持ているとは思えない荒っぽいものだった。そもそもタイには2種免許なんて無いのかもしれないけどね。
ただ、この運転手、乱暴だが運転はうまい。というか、ちょうど俺と同じような運転スタイルなので妙な安心感を感じていた。
しかし家内は何度も「ひゃ~」とか「うわ~」とか小さな悲鳴をあげていたようだった。
 
ロットゥーはバスと違い、車にトイレが無い。なので途中で休憩が入る。バンコクまでの中間点と思しきあたりでガソリンスタンドとドライブインを兼ねたようなところで休憩となった。効きすぎのエアコンでトイレに行きたかったので助かった。
さっそくトイレに駆け込んだのだが、ここのトイレは20年以上前にタイを旅行したころの懐かしいスタイルのままだった。けっして清潔とは言えないし、どちらかと言うと汚いトイレなのだが、なつかしくて思わず笑ってしまった。
どのような物かと言うと、水洗便所なのだがレバーやボタンで水は流れない。便器は和式に近い形状で、トイレットペーパーは無い。代わりに水の貯められた桶が置いてあるのだ。

 
どのようにして使うのかと言うと、用を足した後はお尻を桶の水を柄杓で汲み、手で洗うのだ。もしくは水道がある場合はホースで尻を洗うのである。しかるのちに今度は柄杓で汲んだ水を一気に便器に流しウンコを流すのである。
初めてだとビックリするかもしれないが、アジアのトイレはどこもこんなスタイルが多かった。
俺も初めてアジアを旅行した時はビックリしたし抵抗もあったのだが、慣れると非常に気持ちがいいのだ。そもそも紙で拭くよりも、よほど衛生的なのである。
しかし、最近はこのスタイルはめっきり少なくなった。少なくても外国人旅行者が多い場所ではぜんぜん見かけなくなった。
 
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まあ、便所の話はこれくらいにして続きを書こう。
お客のトイレも終わり、ロットゥーの給油も終わって車は再び走り出す。
見える景色は来る時と同じ、例の背の低いブッシュの原野。
おもしろくない景色なのでやっぱり眠くなってしまい居眠りの開始。
次に目が覚めると、ちょうどチャオプラヤ川の橋の上だった。
とうとうバンコクに入ったのだ。
 
ここまでは渋滞も無く来れたようだが、チャオプラヤ川の橋を渡ると間もなく渋滞につかまった。まあ以前のバンコクの渋滞に比べたら可愛い渋滞だったけどね・・
結局渋滞は目的地の戦勝記念公園まで続いていた。で、この渋滞の原因はなんと、凄い数のロットゥーだったのである。ロットゥーの発着場所に行くためには中央分離帯で区切られた片側2車線ある道路をUターンしないと入れないのだ。なので凄い数のロットゥーが同じ場所でUターンするのだが、車体の大きいロットゥーがUターンするには3車線もの車を一時的に止まらせる必要があるのだ。それをすべてのロットゥーがするものだから、このあたりだけ道路は上下車線で凄い渋滞。もしもこれが東京だったらえらい騒ぎになると思うんだけど、ここはタイだからね・・・
そんなこんなで、とにかくバンコクにたどり着いたのは予想より30分遅い13時30分だった。
ロットゥーの発着場は排気ガスで薄汚れた高架下のせまい広場だった。おびただしいロットゥーが停まっていて、なぜか多くの品の無さそうな男たちがあちこちで大声でわめき散らしていた。何を言ってるのか判らないが、文句を言いあっている感じだった。
ちょっと怖いので急いで退散する。
実は俺、ここに来るのは初めてだし、戦勝記念公園の近くだという事は判ってはいるが具体的な現在位置は全く分からなかった。西も東も判らない状態だった。そんな時に活躍するのがアイフォンのグーグルマップ。正確な現在位置と行きたい場所への距離も方向も一目でわかる。便利になったもんだな。

調べてみると次に乗る予定のBTSという電車の駅までは少し歩くようだ。
駅は戦勝記念公園の向こう側であった。ちょっと遠いがこの公園もバンコクの観光スポットの一つに違いないので見物しながら歩いていく。
腹が減ったので途中の食堂でタイで最もポピュラーなメニューの一つのカオマンガイと言う鳥飯を食べる。まあ普通にうまい。今までも何度も食った事はあるけど、どこで食っても普通にうまい。日本人の感覚だと駅前食堂のカツ丼と言ったところかな。
 
カオマンガイ
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道路は渋滞
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さて、飯も食ったし、BTSの駅に向かう。
ホアヒンと違って妙に蒸し暑いし、ギュウギュウ詰の40リッターザックを背負っているので汗でびっしょりだ。汗を拭き拭き歩く。
駅に着くと凄い混んでいた。しかも、自販機で切符を買いたいのだが小銭が無い。両替したいのだがなぜか両替場は長蛇の列。50人くらい並んでいる。
痺れを切らした家内、「タクシーで行こうよー。」と言い出したが、道路が渋滞しているのは先ほど思い知らされているので先刻承知。おとなしく並んで電車に乗った方が絶対に早いのだ。
15分も並んでいただろうか。ようやく切符を手に入れて電車に乗り込んだ。列車の中はエアコンが利いていて天国のように感じた。

 
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途中で一回乗り換えがあるが、目的地のサラディーン駅まで行けばこの旅も終わりだ。
サラディーン駅の目の前に会社が予約してくれたクラウンプラザという高級ホテルがあるのだ。
まあ、帰国するのは明日なので旅が終わりと言うわけじゃないのだが、まあ俺的にはここで一度ピリオドっていう気分なのである。
 
というわけで、レポはこれで終わりにする。
日記と言うつもりで書いたので、えらい長文になっちゃったけど、最後まで読んでくれた人、ありがと~。
 
<ホアヒンの率直な感想>
色気の無い街なので若い人や団体旅行には向かない。俺たちみたいな熟年夫婦とかには凄く向いてると思う。
街は全体的に騒々しくはないが静かでもない。
しつこい呼び込みや物売りはほとんどいない。
レストランやバーはそこそこ充実しているので、食事や酒には困らないが、派手な店は見かけなかった。
日本人はぜんぜんいない。ホテルで何人か見かけたけど町ではゼロ。なので日本語は全く通じない。街では英語すら通じないところがけっこうあった。
これといった見どころもアクティビティも全然無いので、のんびりする以外に過ごしようがないのも事実。
事前情報の「優雅な気品漂う由緒正しいリゾート地」というのはちょっと違うぞ~。ほめ過ぎだろうって思うけど、まあ、嘘でもないかな。
とにかく俺たちはとても気に入ったので、おそらくこの先、何度も来ることになると思う。
おススメではありますね。
 
<ホアヒン旅行の情報が欲しくて、ネットで検索してたどり着いた人へ>
俺も今回のホアヒン旅行に行くにあたって、けっこう情報不足で苦労したので、知りたいことがあればコメントしてください。知っている事はお答えしますよ。
今ネットで流れている情報だけだと古すぎて使えない物も多かったし・・

リベンジ沢行 三重泉沢

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2016/07/23~24
 
メンツ:かっきー・へべれけ
 
去年の7月25日の遭難事故からちょうど1年が過ぎた。
折れた足首は順調に回復していたが、金属プレートとビス7本は未だに入ったままだった。
実を言うと事故から半年くらいで普通の登山ができるくらいには回復していたのだが、その頃は真冬の1月。
そんなわけで山に登るとなると厳冬期の雪山での山スキーだからして、本格的すぎちゃって行く気になれなかった。
春のGWにはザラメの鳥海山から山スキーに復帰したのだが、雪不足という事もあってスキーシーズンはそれで終了となってしまった。
 
スキーシーズンが終わると沢シーズンが始まる。
 
何処の沢もユキシロが少ない事もあって、いつもの年より早く沢シーズンは始まっていて、仲間たちの沢レポなど読んでいると、行きたい気持ちも湧いてきていたのだが、やはり、なんとなく恐怖感があるというか、ちょっとした渓流釣りでさえ行く気になれなかった。
 
いつもの年より仕事が忙しい事もあったのだが・・・
まあ、とにかく、ずいぶん長い事、山から遠ざかっていたのである。
20キロくらい担いで近所の山でのボッカトレとかは時々していたのだが、そんなものは焼け石に水で、体力も筋力もやる気も落ちていて、増えたのは体重だけ・・・・というありさまだった。
 
そして、気が付くと事故から一年がたとうとしていた。
 
節目が近づいてきていた。
 
やらねばなるまい!
 
という気持ちがわいてきていた。
 
という事で、事故から363日目にあたる7月23日(土)にリベンジ三重泉沢行が決行されることになったのだ。
達成できればギリギリ1年以内のリベンジ沢行という事なのである。
 
同行者はおなじみカッキー。
サポートとして仲間内では最強のポテンシャルなので心強い。
 
当初の予定ではアルピニストの安藤塾長も参加予定だったのだが、急な仕事が入ってしまい残念ながらドタキャンとなってしまった。
 
さて、では、俺にとっての三重泉沢がどういうものなのかを、ちょっと説明しておこう。
 
実は、ものすごく特別な沢なのだ。
 
地元群馬県の沢なのだが、
登山をはじめて間もないころ、源流釣りの延長線上ではあるのだが、はじめて本気で臨んだ沢が、この三重泉沢なのである。
そして、はじめて途中退却したのも三重泉沢。
何しろその頃の俺、懸垂下降以外の登攀技術は何も知らないのだ。
その時は、退却用のアンカーに、持っていた全てのハーケンを残置したし、ほとんどの捨て縄も使い切って、フラフラになりながらのヘッデン下山だったのだ。
そしてバリエーション熱に火が付いたのは、これが切っ掛けと言って間違いないのである。
 
また、今回同行のカッキーと初めて出会ったのも、この三重泉沢。(別パーティーで前後して登ってたのだ)
今ではすっかり馴染みの仲間なのだが、実はこの沢が始まりなのである。
 
そして、初めて遭難してヘリに救助されたのも、この三重泉沢なのである。
 
まあ、そんなわけで、俺にとっての三重泉沢は、今の俺の山行形態の基盤になっている沢であり、今の山仲間の出合いの場所でもあるのだ。
そして、何度も繰り返し遡行しているホームグラウンドのような沢なのである。
 
さてさて、では山行記録を書こう。
 
つづく
 
これは2008年6月の写真 第3ゴルジュのCSをリードする俺(今の俺には無理です)
離陸が難しいんだよね
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岩の割れ目に手を突っ込んでグーを握って・・
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よくもまあ登れたもんだわ。今の俺には無理だね
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リベンジ沢行 三重泉沢 ②

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7月23日

7:20 林道ゲート出発
今日の予定、というか目的は、第一ゴルジュ先の事故現場の検証。
事故当日はそれどころじゃなかったので、今日あらためて事故状況を検証したいのだ。
ゲート前
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その後はゆっくり釣でもしながら1年ぶりの沢登りを楽しむつもり。
 
8:30に三重泉橋到着。
ここまでは約1時間の林道歩きなのだが、1年のブランクはさすがに大きく、足取りも体も重いし、ちょっとした登りでも息が切れた。

 
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10分ほど休憩を入れて、いよいよ三重泉沢に入渓する。
予想はしていたのだが、沢の歩きがなんとなく恐い。
滑るんじゃなかろうか?とか、この石動くんじゃなかろうか?とか、よけいな事を考えてしまい、恐る恐るギクシャクした歩みで遡行を開始する。
 
それでも第一ゴルジュまでは30分ほどで到着した。
ゴルジュ入口の滝は、高さが2mもない小滝なのだが水量が多いと水線突破は難しい。しかし去年と同様、水量は少ないし、しかも滝壺が埋まって浅いので、胸まで浸かれば簡単に超えられた。
 
第一ゴルジュ
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そして、記憶ではここから15mか20m先が事故現場なのだ。

が・・・慎重に探しながら歩いたのに、それらしい景色が見当たらない。
事故発生からヘリの到着まで3時間以上もの間、見続けた景色なので忘れるわけがないのだが、見つけられないのだ。
「15mか20m先・・」というのが俺の記憶違いなのかと思い、さらに進みながら探したが見つからない。
 
この写真の奥のほうが事故現場のはずなのだが・・・
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そしてとうとう発見できないまま第二ゴルジュまで進んでしまったのだった。
おそらく、この一年の間に大きな出水があって沢の形が変わってしまったんだと思う。
 
そんなわけで、現場検証と言う第一の目的は永久にできない物となってしまったのだった。
 
ま、できない物は仕方がないので、気持ちを切り替えて沢登りを楽しむことにする。
 
さて、訳が分からんうちに到達してしまったこの第二ゴルジュ。
ちょっとした廊下の奥にCSの二段滝があるのだが、ハーケン打ちまくっての人工登攀になるので、俺的には素直に巻に入りたいのだが、同行のカッキー、直登する気まんまんらしい。
「やめようよ~」という俺の願いを聞き入れず、すでに滝の直下まで進みルーファンを開始している。
しかたがないので俺もそばまで進んで行き、「今日はリベンジでもあるし、1年ぶりの沢登りでリハビリ的な要素もあるのだから・・」などと説得してようやく思いとどまらせた。
 
ルーファン中のカッキー
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で、いつも通り左岸から高巻を開始する。
しかし、この高巻、人工登攀の直登ほどではないが、けっこうめんどくさいのだ。
結構な高さまで登らされるし、トラバースもズルズルでイヤラシイのだ。しかもそのトラバースは結構長く続き、最後はきっちり30mの空中懸垂で沢に復帰するというのがいつものパターンなのだ。
 
が・・・・
今回はもっとめんどくさくなってしまったのである。
適当なところからテキトーに登りはじめ、てきと~な高さでトラバースを開始する。
いつもはもっと上まで詰め上げて岩盤基部をトラバースした記憶があるのだが・・
「木の根っこが沢山あるからダイジョブダイジョブ~」と言いながらどんどんトラバっていくカッキー
んで、俺はと言うと、ズルズルのトラバースに怖気づいてしまい全然動けない。
これではらちが明かないので「アンザイレンしてスタカットで行こうよ~」と希望すると、カッキー、どうやらめんどくさくなってきたらしい・・・
「ここから斜め懸垂で強引に降りちゃおう!」という作戦に変更されてしまったのだった。
しかし高さはどう見ても50mはありそう。
「あそこでピッチ切れば良いんじゃね?」と言う感じで2ピッチの強引懸垂の開始。
持ってきたロープは8ミリ30mのザイル1本と5ミリ30mの細引き1本。
まあ、強度的に問題ないのは解かっているけど、幕装備を背負って5ミリの垂直懸垂はちょっと気持ち悪かった・・・
 
2ピッチ目の懸垂
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さて、これで全部で四つあるゴルジュのうち二つを抜けた事になる。今の時間はまだ11時前。どう考えても余裕の時間なのでイワナなど釣りながらのんびり行く。
イワナ釣がどうだったかと言うと、「さすがゴルジュのど真ん中」とだけ言っておこう。
ただ、これを読んで行く気になった人!なめてかかると大怪我しますよ~。
なんたって大怪我した本人が言ってるんだから本当です!
 
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楽しく1時間ほど遡行を続けると第三ゴルジュ到着。
ここは怖くはないがめんどくさいCS滝。
以前は簡単にフリーで登れた記憶があるのだが、なんだかめんどくさそう。
石の上にでっかい木の根っこが乗っかってるし。
ただ、その木の根っこから一本のツルが下がっている。
「あれ使ってゴボウで登れるんじゃね?」とカッキー
で、実際に登ってみると、「あれま!えらい簡単だわ」と言う感じでスルスル~っとクリア。なんだかボーナス貰った感じ 笑
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でも、このツルが無かったらマジでめんどくさい滝。
ほとんどの人が人工登攀で登ってるみたいだし。
だって左岸には残置されたシュリンゲつきのハーケンが連打されてたもの。
ちなみにその連打されたハーケンは登攀経験の無い釣り師とかじゃ難しくて使えないのであしからず。
 
連打された残置ハーケン
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無茶な釣り師が無理矢理ここまで来たとしても、おそらくここで退却だろうね。そしておそらく、凄い怖い思いをしながら往路を戻る事になるはず。
なにしろ俺が初めてこの沢に来た時も、相棒がどうしてもこの滝を登れなくて、ここで退却したのだから。
 
さて、これを過ぎると残るは最終関門の第四ゴルジュのみ。
しかし、第四ゴルジュは左岸から狭い岩屋みたいなところをすり抜けるように巻けば簡単に超えられるので、事実上、これで核心を抜けた事になる。
 
はずだったのだが・・・・
 
本日の相棒が悪かった・・・
 
小一時間ほどで第四ゴルジュに到達したのだが、カッキー、またしても直登する気満々。
しかも「ビレー必要なし!」と言いながら俺を引っ張り上げるための細いフローティングロープを引きながらどんどん登って行ってしまったのだ。
俺が見る限り、落ち口がえらく悪そう。
最後のスタンスは横に走るクラックが使えそうだけどホールドが何も無さそう。しかもツルツル。
少なくても俺は登れる気が全くしないのだ。
なのにカッキー、ビレー無しでどんどん登っていく。
で、核心の落ち口に差し掛かると、なにやら腰のあたりをごそごそやりだして、取出したのはカム。
それはつまり人工登攀で行くかビレーに切り替えるのかって事なのである。
ようするに簡単じゃないって事なのだ。
カッキー。ろくにルーファンしないで登ってたのだ。

 
フリーで登るカッキー。ロープはまだザックにつながってる・・・
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で、結局、あわててビレーの体制に入る。
カッキーはザックに取り付けてあったロープバッグからフローティングロープをハーネスに装着。
俺は手で持っていただけのロープをエイトカンに通してビレーループにセット。
これで一応ビレーの体制はとれたのだが、フローティングロープはダイニーマ。強度は充分だが全然伸びないロープなのだ。
なので、もしも墜落すると衝撃が吸収されず身体へのダメージが大きいのである。
ま、今回は高さが無いので問題ないけど、良い子は真似しないように。
 
結局、カムは決まらずハーケン一枚打って登攀を再開し大股びらきのムーブでオンサイト。
 
で、なし崩し的に俺がフォローで登る事になってしまったのである。
 
「まあ、落ちてもドボンですむし」という事で嫌々登攀開始
予想通り落ち口までは俺でも普通に登れた。
中間支点のハーケンまで登ると「勿体ないからハーケンちゃんと抜いてね。」とカッキー
このハーケンが嫌なほどバッチリ決まっていて抜くのにえらい苦労をさせられた。
ずいぶん時間をかけてどうにか引っこ抜いてから核心部をルーファンする。
やはり俺には難しい・・・
しかも、よく見ると、すぐ上でビレーしているカッキー、ルベルソ使わないで肩がらみのボディービレーだ・・・・
 
「なめてる。こいつ、この滝をなめてる・・・」と思ったが、もはやどうにもならない。
 
しかし、横クラックはしっかりしてそうなので、とりあえず立ち込んで考えようと右方向へトラバース開始。
右足が水流の中のスタンスをとらえ左足を浮かせた瞬間!
 
つる~んっと右足が水流に吹き飛ばされ落下開始~
 
直後に意外とやんわりテンションがかかって落下が止まった。ボディービレーが幸いして衝撃が緩和されたようだ。
でも、カッキーの肩は絶対痛かったはず。体重とザックと加速度が加わってるから軽く100キロ以上の衝撃だったはず。
崩れた体制を立て直すのにけっこう苦労したが、もうめんどくさいので残りは全体重をカッキーの肩にかけながらゴボウで登った。
ぜーはーぜーは―と息が切れていた。
この時の俺の気持ち、「墜落を止めてくれてありがとう。」という気持ちより「肩が痛かっただろザマミロ。」という気持ちの方が大きかった。笑
 
ハーケン抜いてる俺 このあと落ちます~
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さてさて、これでこの沢のアトラクションはすべて終了。
残りは楽しい釣りとイワナのフルコース付のキャンプだけ。
釣竿を取り出しのんびり遡行を再開する。
今日の幕営予定地は滝ノ沢という枝沢の合流付近を予定しているので間もなくだ。
キャンプ地までに食材を確保しないとならないので2人して本気モードで釣りを開始する。
 
俺もカッキーもイワナ釣りに関しては自他ともに認めるエキスパート。なのだが・・・
 
ぜんぜん釣れない。ゴルジュの中ではうようよいたイワナが嘘のように少なくなってしまったのだ。いない事は無いのだが少ないし小さい。
おそらくニグラ尾根越えでやってくる釣り師に荒らされちゃってるんだと思う。
この沢は難しいのは八丁クラガリと呼ばれる四つのゴルジュだけで、他の部分は体力さえあれば誰でも来ることができる沢なのだ。
 
 
14:00 滝ノ沢出合
 
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結局、天場までにキープできたイワナはたったの2匹だった。
それは非常にまずい状況だった。
共同装備の振り分けで、登攀装備担当はカッキーで食料担当は俺だったのだが、沢山釣れるはずのイワナを当て込んでいたので、調味料は沢山持ってきているが、肝心の食材は米とか蕎麦とかの主食系だけだったのだ。
これではお楽しみの宴会が台無しになってしまう。
しかたがないので天端にザックを放り投げて二人とも超本気モードで釣りを開始する。
カッキーはお得意のテンカラ。俺はと言うと、いつものルアーのほかに餌のミャク釣りの両刀使いだ。
実はドタキャンになってしまった安藤塾長に貸してあげようと思い、ゆうべ自宅でエサ釣り仕掛けを仕込んできたのだ。
で、2人して奮闘する事、約2時間、どうにかフルコースが造れる数のイワナをキープできた。
 
16:00 天端設営
 
天場に戻りキャンプをこしらえる。
8ミリザイルの親綱をはりタープを張る。
タープは今は亡きケモの形見だ。いつもこれを取り出すとケモと過ごした沢の思い出がよみがえる。そしてちょっとセンチな気持ちになってしまう。
きっとカッキーもそうに違いない。
 
天端設営はさすがベテラン二人。打ち合わせるわけでもないのに二人ともやるべき事を効率よくこなし、あっという間にキャンプが出来上がる。
薪を集め焚火を起こす。焚火の着火も一発で決まる。さすがだ。
 
キャンプ
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ここからは食料担当の俺の仕事だ。
今夜はイワナのフルコース。
御品書きは
イワナのタタキ
イワナの天ぷら
イワナの塩焼き
イワナの骨酒
ビールはモルツを沢で冷やす
二杯目からは熊本焼酎の元老院だ。
 
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沢宴会としては、ほぼ完璧な料理となった。
 
こうして久しぶりの沢登りの夜は更けて行ったのだった。

 
 
最後に、
まずはリベンジ沢行に付き合ってくれたカッキーに感謝する。
遡行も宴会も釣りも非常に充実したものだった。
今後も沢登りは続けて行きたい。
今までのように、もっと厳しい沢へ、もっと難しい沢へ、という気持ちは正直に言うと揺らいできている。
しかし、これほど楽しい遊びは捨てる気になれない。
自分の実力と年齢と相談しながら楽しんで行こうと思う。

猫岳 夫婦松まで

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みなさまご無沙汰しております。
久しぶりの更新です。

2年ぶりに厳冬期の山スキーに行ってきました。
行き先は雪に埋まった乗鞍スカイラインの途中にある猫岳という2700mくらいの山。
山スキールートとしては初心者向きらしいです。
それでも上まで登るのはけっこう疲れるので、今回は夫婦松って言うところまで登ってきました。
標高差は600mくらい。
ほんと久しぶりなので、今回はこれでちょうど良かった。

現地は1月の北アルプスとはとても思えないほど暖かくて汗ビッショリでした。

沢での事故から2年間ほどバリエーション的登山を自粛していましたが、徐々に再開していくつもりです。

体重が8キロも増えちゃったし・・・・

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